2011/03/12

東日本大震災の脅威

「それ」は、某プロジェクトの面接中に起こった。

 

グラグラグラ

 

ビルの7階だか8階だかの会議室は、かなり激しい揺れ(後に「震度5」と判明)を感じ、ガラス張りの窓から電信柱がグラグラと揺れているのが確認できるほどの衝撃だ。 揺れは一向に収まらず、次第に大きくなってきた。

 

打ち合わせは、大手メーカーN社の宇宙開発プロジェクトPM、そして担当営業の2人で、担当PMに技術説明をした後、質疑応答が繰り返されているという状況。担当営業はそわそわし始めたが、こちらは説明役だから不安は感じながらも

 

(そのうちに止まるだろう・・・)

 

と思っていたし、PMからは容赦なく鋭い質問が飛んでくる。

 

「大丈夫ですか・・・外に出た方が・・・」と心配顔の営業に、PMは「大丈夫・・・」と澄ました顔だから、こちらとしては揺れは気になろうとも、説明を続けねばならぬ。が、異常に長い揺れは一層激しさを増すばかりで、外には避難する人々の数が見る間に増えていく・・・

 

そうこうしているうちに、執務室から数人が呆れ顔で出てきた。

 

「こんな状況で、面接などやっている場合じゃないでしょう?

避難勧告も出ているので、早く外に出ましょう」

 

と尻を叩かれ、ようやく階段で外に出ることに。

 

揺れが収まった後に続きを行い面接は予定通り終了したが、困ったことにこの日は、もう1件のユーザー面接が入っていた。とはいえ交通機関は全停止状態で、連絡しようにも電話も繋がらないというどうにもならない状況で立ち往生していると、しばらくして電話がかかってきて

 

「予定通り面接を行いたいので、現地までタクシーで移動してください」とのことだ。

 

が、こんな状況の中、タクシーの空車などが見つかるはずがない。仕方なくバス停の行列を尻目に、八丁堀から虎ノ門まで歩いて移動した。

 

雨もぱらつき始めた怪しい雲行きの中、散々道に迷った挙句、1時間ほどを費やしてようやく到着すると、担当営業も近くの自社から歩いて来て待っていたものの、肝心のPMが現場から移動することが出来ず、結局リスケとなってしまった。この時点で、夕方5時を回っていた。これから帰ろうにも電車は全てストップしているし、こんな状況だけにおそらくは当日中の復旧は無理だろう、と漠然と感じていた。

 

さて、どうしたものかと思案していると、営業が

 

「吉祥寺なら、バスを乗り継いでいけば帰れますよ。ここ(虎ノ門)からは、渋谷までのバスが出ていますし・・・」

 

と教えてくれた。新宿からウチの近くまではバスが通っていたはずだから、渋谷まで行ければなんとかなるとホッとはしたものの、バス停はどこも長蛇の列だ。ちょうど通りかかった時に到着するバスが、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態で一人も乗れないという惨状を目にするに及び、覚悟を決め「虎ノ門自宅(吉祥寺)」をiPhoneで検索してみると「17.5km 3時間30」と出た。

 

3月中旬とは思えない寒さの中、なんとか新宿までたどり着いたが「不夜城」と呼ばれる町も、この日ばかりはデパートもどこも早々にシャッターを降ろしているのが、一層冷え冷えとさせる。時折吹く冷たい突風が肌を刺すという悪条件下、同類の「帰宅難民」がイベント帰りのような行列を成して、深夜にぞろぞろと青梅街道を行進している異様な光景を繰り広げていた。

 

立ち寄るコンビニには食料の棚は商品が残っておらず、トイレを借りる何十人もの人々が溢れている。そんな中、帰宅難民の行進の中の一人としてどうにか最寄り駅まで辿り着いたが、24時間営業のスーパーもシャッターを下ろしており、セブンイレブンで唯一残っていたおでんを買って、家に着いた時は夜の10時になっていた。

2011/03/10

退場(プロジェクトS)(6)

(敢えて、こちらから声を掛ける必要はあるまい・・・)

 

と、こちらも知らぬ顔を決め込んでいた ( ´-)y-~~

 

I氏が知らぬ顔を決め込もうが、PMが出てこなかろうが、こっちは要請にしたがってわざわざ無給で出勤してやったのだから、後は予定通り12時が来たら粛々と手続きを終えて退散することに変わりはない。こちらとしては、それで爪の先ほども困ることはないのだ。

 

そうこうしているうちに、11時が過ぎたがPMはまだ来ない。あれ以来メールも来ていないから、何時に出てくるかも皆目解らなかったが

 

(この分では、午前中は来ないだろう・・・)

 

と確信した。と言うよりは、前日まであれだけピンピンして怒鳴り散らしていたあのPMが、この日に限って「体調不良」と言うこと自体、最初から信じてはいなかった。

 

11時半になった。

I氏は無視して黙って帰ろうと思ったが、これをネタに後で

 

(引継ぎも挨拶もなく、知らぬ間に消えていました・・・)

 

などと揚げ足を足られては堪らないから、気は進まないが仕方なくI氏に声を掛けると

「今、忙しくて、手が離せない・・・」

 

と、オーバーに顔を顰めた。

 

12時になったら、ここを出ないといけないので・・・5分で終わりますが」

 

「わかりました・・・」

 

「向こうの打ち合わせスペースに居ますよ」

 

と先に行って待っていると、たっぷり10分以上は待たされた挙句、さも大儀そうにI氏がやって来た (-ω-#)y-~~~~

 

「U氏から聞いていると思いますが、私は今日が最後になりましたので。今日は午後から面接があるので、午前中に退出手続きをして退場します」

 

「そうですか・・・自分は、まったく聞いてないですが・・・」

 

と、I氏は惚けた。I氏は、U氏の腹心のような存在だ。タバコを吸うのもいつも一緒に行っているくらいで、業務も任せている状態だったから聞いていないというのは絶対にありえず、狡猾なI氏らしいお惚けだった。

 

最後はPMとの関係が悪化して、連日怒鳴りあうまでの泥沼になっていたが、元をただせば「首魁」はこのI氏のハズであった。PMは、この狡猾なI氏に騙された「傀儡」に過ぎないともいえたが、激情的なPMとは違ってI氏の方は常にクールなタイプだったから、こいつが首魁とは充分にわかっていながら、最後まで怒鳴りあいのような泥沼に発展はしなかった。こういうところにも、首魁たるI氏の「狡猾さ」が看て取れた。

 

「今日の午前中で終わりと言うことは、会社間でU氏にも話がついています。今日はUさんが来てないようなので、代わりにIさんに話しておきますが、残作業の引継ぎというものは、これまで定例会などに一緒に出てもらって情報共有してきた通りで、それ以外はなにもないです。一応、必要と思われるデータは、全てサーバの所定の場所に格納してあります。PCのデータについては、担当に聞いたら向こうでやるのでそのままでいいということでしたが、念のため全部消去おきました。では今から退場手続きをして、そのまま退出します」

 

「わかりました・・・」

 

「業務の引継ぎはない認識ですが、なにか質問とかありますか?」

 

「いや、特にありません・・・」

 

「なければ、後は手続きをして退出しますが」

 

「わかりました・・・」

 

「じゃあ、Uさんが出てきていないようなので・・・」

 

と、精一杯に皮肉を籠め

 

「引継ぎの話もIさんにしたことを含めて、全て処理が完了して午前中で滞りなく退場したと、Uさんにお伝えください」

 

「わかりました・・・伝えておきます・・・」

 

と「引継ぎ」は、実に呆気なく完了した。

 

その後、総務の手続きを済ませて退出すると、所属のS社長に電話をして状況を伝えた。

 

「はあ、PMは出てこなかったんですか・・・体調不良か・・・」

 

「逃げたんでしょう。出てこようが来まいが、私の知ったこっちゃないですが。こっちは粛々と手続きを終えましたので、これにて失礼 εεεεεヾ(*´`)ノ トンズラッ

2011/03/07

なんば(難波)

上町台地北側の大阪城から海に向かって西方向一帯を昔は「難波」と呼んでいました。普通は「なんば」と読んでしまうのに、なぜ「なにわ」と呼ばれるようになったのかでしょう。

 

古代大阪平野は 淀川や旧大和川からの大量の土砂を運んできて、大きな扇状地として形成されました。海岸に近い平地部では多くの分流ができ、潮が引くと無数の水路ができて「澪標(みおつくし=難波江の浅瀬に立てられた標識)がなければ 水上交通は成り立たなかった。そのような地形であった所から「難儀で広い扇状地」を見て難波(なにわ)と呼ばれるようになり、いつしか「浪速」と呼ばれるようになりました。また「澪標」は、水の都・大阪市のシンボルマークになっています。

 

 「難波」で、もう一つ疑問が湧いてきました。現在、大阪南の街くいだおれの街として「難波駅」周辺を総称して「なんば」と呼ばれていますが、これは昔「魚が多く捕れて食料品が豊富にある広い場所」であったことからではないか、と言われてます。難波神社の宮司さんの話によると、昔は現在の難波神社あたりを「北なにわ村」、難波駅周辺を「南なにわ村」と呼んでいたそうですが、現在は「なんば」と読むのが一般的だということです」

 

「鴨南蛮」って、もともと大阪ではミナミの地名の難波に由来する「鴨なんば」って言われていたって御存知でしたか?

なんでもその昔、難波の周辺は広大な葱畑だったそうでありまして、鴨と相性の良い葱が入ってる饂飩(または蕎麦)ってことで「鴨なんば」って呼ばれるようになったそうな。もちろん肉を食べる=南蛮人という発想や、ポルトガル人が日本に玉葱が無いので長葱ばっかり食べていて「葱」=「南蛮」って言うようになったなんていう背景も、同時にあったようではあります。

 

難波なんば」→「南蛮」というのが、大阪での名前の変遷なのだそうでございます。ちなみに蕎麦屋さん業界では、御飯のことを「しま」って言うのだそうでありますが、これも昔、大阪の堂島辺りに米問屋が多く米の市が立ったから、なのだそうな。

 

難波(浪速)、名古屋の地名の「」音は「ぬゎ=nwa、並ぶ」音で、何かが並んでいる地形の特徴から地名に取り入れられています。まず、難波の地名の由来を遡ってみましょう。

 

難波は、難波の文字が伝える「な-に-は」が古い音です。他に「浪速」の文字も使用されていて、この訓読みから浪速は「なみはや=波が速い」が語源であると主張する学者もいますが、この根拠は日本書紀の「故事つけ」から来ています。この付近の海の潮の流れ(波ではありません)は、明石・鳴門両海峡や紀伊水道の方が速く、この地を「波の速いところ」と言いきる決め手はありません。かえって、この付近は「茅怒(の海)」〔ち-ぬぅ=ti-nwu=方向が固定される、どちらから進入しても同じ所に行き着く、どちらから行っても行き先は同じ〕と言われるほど、瀬戸内海では最も奥の行き止まりの所なのです。

 

西の明石・鳴門両海峡、あるいは南の紀伊水道を通り過ぎると、後はそのまま進めば茅怒の海に辿りつけます。それでは、難波の個々の音について分析してみましょう。

 

最初の「な」音は、〔ぬゎ=nwa、「並ぶ」〕音としてよいでしょう。「に」音は〔に=ni=確かでない〕、〔にぃ=nyi=柔らかくない、硬い〕、〔ぬぃ=nwi=広くない、狭い〕の3通りがありますが、地名に使用される音としては〔ぬぃ=nwi=広くない、狭い〕が適当でしょう。

 

最後の「は」音には、〔は=ha=中央に〕、〔ふぁ=fa=対になって、接するように〕、〔ふゎ=hwa=膨らむ、盛り上げる〕の3通りがあり、何れも地名に使用される頻度の高い音です。これらの音を組合せた「間隔狭く対になって並ぶ」、「間隔狭く接するように並ぶ」、「間隔狭く盛り上がるように並ぶ」が、地名らしい意味を持っているものと思われます。特徴のある「間隔狭く並ぶ」ものを見つけることが、この地の語源を探る決め手になりそうです。

2011/03/03

最終日(プロジェクトS)(5)

「前にも言ったように残作業の引継ぎなどないし、退場手続きといってもカードやら鍵を返すくらいだから、それはわざわざ現場に出なくても営業ベースで処理して欲しい。現場の近くまでは行きますから、なにか書類に署名などが必要というなら現場の近くで書いて、営業に渡しますので。なんなら現場ビルまで行っていいが、中には入らずに済むようにして欲しい。もしどうしても出勤しろと言うのであれば、当月分の給料は請求します。ただし、明日は午後から面接が入っているので、午前中しか対応できませんがね」

 

翌日の午後に面接が入っているのは事実だった。

 

「ではその線で、ちょっと調整してみます・・・」

 

その日に、連絡が来た。

 

「先に言っていたように、特に引継ぎとかがなければという前提で、即退場でも良いということです。ただし条件が二つあって、ひとつは今月数営業日分の給料は出ません・・・出ないと言うか、うちとして上に請求できないので・・・」

 

「結構です」

 

「もうひとつの条件は、明日だけは出て欲しいとのことです。一応、残作業の引継ぎと退場の手続きがあるので、これはどうしても出てもらわないといけないらしい。引継ぎなど問題なく終われば、午前中だけでよいということです・・・」

 

「手続きは営業ベースでやってもらいたいと、お願いしたはずですがね。出ろと言うのなら、今月数営業日分の全請求が発生しますよ」

 

「それは、放棄すると言う話だったでしょ?

明日、手続きのため出てもらう分については当社が持ちますので、対応してもらえないかなー?」

 

と、社長は拝み倒さんばかりだ。ともあれ一日も早く出たいので、この月の数営業分の給与は「放棄」して、退出処理まで行うことを受諾する。

 

その日は、社長からiPhoneMMSメールで

 

「明日は本当に、よろしくお願いします。全て明日で終了しますので、よろしくお願いします」

 

と、暗に「トラブルを起こすなよ」というメールが飛んできた。とはいえ、このところPMとは顔を合わせれば怒鳴りあっていた(というよりは、PMの方がなにかとムチャ振りをしてきては、勝手に激昂している認識だった)のが現状で、最終日もどんなイチャモンをつけられるかわからず、したがってどんな泥沼な展開が待ち受けているかも予想できないという、波乱含みの様相なのである。

 

S社長からは

 

「にゃべさんはこれで終わりでも、うちとしては上の会社とは今後も営業的なことがあるので、残り期間はくれぐれも社会人としての常識を持って行動して欲しい」

 

と言われていたが

 

「最終日にも無理に出ろと言うならば保証の限りではない。そもそも、無理難題を言っているのは向こう(PM)であって、こっちは被害者なのだ。飛んでくる火の粉は、当然振り払うしかない」

 

とハッキリ伝えたものの、S社長(或いは、その上の会社の営業)としては、ともかく「最終日に出て、忠勤を尽くした」ということしか念頭になく、他のことまでは余裕がないようだった。

 

仕方なく、何食わぬ顔で出勤してメールをチェックすると、PMからメーリングリスト宛に

 

「体調不良のため、10時ごろ出社いたします」

 

というメールが飛んでいた。

 

ところが10時、10時半となっても一向に出てこない。と思っていると

 

「体調が回復しないため、医者に寄ってから出勤します。午前中には出る予定ですが、場合によっては間に合わないかもしれない・・・」

 

というメールが飛んできたのを見て

 

(まるで、オレに対するメールみたいだな・・・)

 

と苦笑した。

 

必要なデータをサーバに移し、不要なデータの削除などをしていると11時を過ぎた。「引き継ぎ」と言ってもまだ後任が入っていないから、やるとすれば相手としてはI氏くらいしか思いつかないが、あれだけ「引継ぎが必要」といっていたにもかかわらず、I氏は一向に知らぬ顔を決め込んでいた。