刺身の調理法は、魚肉以外でも用いられる。『鈴鹿家記』応永6年(1399年)6月10日の記事に「指身 鯉イリ酒ワサビ」とあるのが刺身の文献上の初出である。
醤油が普及する以前は、生姜酢や辛子酢、煎り酒(削り節、梅干、酒、水、溜まりを合わせて煮詰めたもの)など、なますで用いられる調味料がそのまま用いられた。「切り身」ではなく「刺身」と呼ばれるようになった由来は、切り身にしてしまうと魚の種類が分からなくなるので、その魚の「尾鰭」を切り身に刺して示したことからであるという。一説には「切る」を忌詞(いみことば)として避けて「刺す」を使ったためとも言われる。
いずれにせよ、ほどなくして刺身は食材を薄く切って盛り付け、食べる直前に調味料を付けて食べる料理として認識されるようになったらしく『四条流包丁書(しじょうりゅうほうちょうがき)』(宝徳元年・1489年)ではクラゲを切ったものや、果ては雉や山鳥の塩漬けを湯で塩抜きし、薄切りしたものまでも刺身と称している。
刺身の異称
刺身とよく似た料理に「打ち身」がある。文献によっては刺身と混用されていることもあるが、こちらは総じて刺身よりも分厚く切り、盛り付けに鰭(ひれ)だけでなく皮や中落ちまでも利用するなど、調理法が極めて多彩かつ複雑であった。しかし対象となる魚の種類が鯛か鯉に限られていたこともあり、より簡便な刺身が普及するにつれ、室町末期には殆ど刺身と区別がつかなくなり、江戸時代に入るとともに料理名としても廃れた。
かつての関西では、原則として鯛などの海の物に限られているが、魚を切る事を「作り身」といい、それに接頭語を付けた「お造り」という言葉が生まれた。そして淡水魚の場合は「刺身」といったことが「守貞謾稿」に記されている。現在では異なっている。
懐石の一品「お造り」
料理としての刺身は、江戸時代に江戸の地で一気に花開いた。そもそも京都は、鯉のような淡水魚を除けば新鮮な魚介類が得られにくいため、いわゆる江戸前の新鮮な魚介類が豊富に手に入る江戸で、刺身のような鮮度のよい魚介類を必要とする料理が発達するのは当然のことであった。
もうひとつの理由は、調味料として醤油が生まれた事である。生魚の生臭さを抑える濃口醤油が江戸時代中期より大量生産をはじめ、大都市・江戸の需要をまかなった。後述の通り、魚を生食する文化は日本以外にも存在するが、特定の種類の魚の調理法に限定されている。
江戸時代の江戸で生まれた、多種多様な魚介類を刺身として生食する習慣は、まさしく醤油という生の魚と相性が抜群によい調味料あってこそのものであった。また醤油の普及は、生の魚と飯を即席であわせて醤油をつけて食す料理、つまり握り寿司へと繋がって行った。
また刺身の普及によって、鰹や鮪のような塩漬や加熱調理した場合に食味が落ちる魚についても、美味しく食べられるようになった。鮪は、江戸時代中期までは塩漬したものを煮るか焼くかで食すのが普通であり、あまり美味とはみなされず、それゆえに安価な魚であった。江戸時代後期から、醤油漬けにした鮪を生食するようになり、これが美味であるとして人気が高まった。歌川豊国の「当世娘評判記」には、大皿に刺身とつまを盛ったものが描かれている。こういった状況を「守貞漫稿」では、次のように記している。
鯛・ひらめには辛味噌あるひはわさび醤油を用ひ、まぐろ・鰹等には大根おろしの醤油を好しとす。夏は血水底に溜まる故に、江戸にては葭簀あるひは硝子簾を敷きて、その上にさしみを盛る。江戸、刺身添へ物、三、四種を加ふ。糸切大根、同うど、生紫海苔、生防風、姫蓼。粗なる物には、黄菊、うご、大根おろし等を専らとす
幕末には、京阪は四季に関係なく鯛ばかりを使用している上、切り方から盛り付けまで乱雑である(『守貞漫稿』)と批判されるほどにまで差がついていた。喜多川守貞著『守貞漫稿』1853年には、屋台の「刺身屋」が登場し、これは江戸前の鰹と鮪が主であり、大変に繁盛したとされている。また、皿に好みの刺身を盛ってもらう「刺身盛り合わせ」の形式が誕生した。
魚を薄く精巧に切った「平作り」などについて、次のように記述している。
「京坂にては四時及び料理の精粗を択ばず専ら鯛を用ひ、他魚は用ふを甚だ略とす。京坂惣ての作り身斬目正しからず斬肉を乱に盛る。京坂にては鮪を下碑の食として中以上及び饗応にはこれを用ひず。又鮪を作り身にせず。江戸は大禮の時は鯛を用ひ、平日これを用ひるを稀とす。平日は鮪を専らとす。包丁甚だ精巧にして斬目正しく 斬肉の正列に盛るを良しとす」
近代に入ると、流通の発達や冷蔵設備の普及、冷凍技術の発達に伴い、日本全国津々浦々で新鮮な刺身が食べられるようになった。特に鮪に関しては、近世までは醤油漬が江戸で食されたに過ぎないが、冷蔵技術の進歩により全くの生の状態で日本中に流通するようになった。また鮭や一部の烏賊のように、寄生虫を持つために従来は生食に適さなかった魚も、冷凍処理で寄生虫を殺す事で生食できるようになった。
そして今では日本料理の代表格として、寿司とともに日本国外にも進出を果たし「Sashimi」で通じるほどにまでなっている。英語圏の魚市場や魚屋では、生食出来得る品質の魚介類を指して「サシミ・クオリティー(Sashimi Quality)」と呼称・表示することもある。
出典Wikipedia