本居宣長訳
○「神名」は「カミのミナは」と読むべきことも、一之巻で述べた。
神を「迦微(かみ)」と言うのはなぜか、分からない。【世間で言われる語源説は、みな当たっていない。】一般に「かみ」は、古い典籍に記載されている天地の諸々の神々を始め、それを祀る神社にいる御霊を言い、また人はさておき鳥獣木草のたぐい、海山など、その他何であれ尋常ならざる優れた徳(能力)があって、おそれかしこむべきものを言う。【「優れた」とは、尊いことや善いこと、功業などが優れているというだけではない。悪いもの、奇(あや)しいものなども、世に優れてかしこむべき存在は神と言う。人について言えば、世々の天皇がみな神であることは言うまでもない。それは遠つ神と言い、凡人とは遙かに遠く尊くかしこむべき存在である。だから、いつの世にも神である人はいるのだ。また天下に喧伝されることはなくとも、それぞれの国や里、家のうちにあっても、それに応じて神と呼ぶべき人はいるだろう。
ところで神代の神々も、多くはその当時の人であって、その頃の人はみな神だったので「神代」と言うのである。また人でないものとしては、雷などは普通にも「鳴る神」、「神鳴り」と言うから言う必要もないが、龍、樹霊(こだま)、狐などもすぐれて奇しいもので、かしこむべきであるから神と言う。木霊(こだま)とは俗に言う天狗のことで、漢籍に魑魅(ちみ)と言うたぐいのものである。書紀の舒明の巻にある天狗は、これとは違う。また源氏物語などには「天狗こだま」などとあるので、天狗とこだまとは別物のように思えるが、当時は天狗とも木霊とも言っていたのを何となく書き連ねたにすぎず、実際は同じものだ。現在俗にこだまと言っているのは、古くは山彦と言った。このことは、この伝には別に必要もないのだが、木霊を挙げたついでに述べたのである。
また虎や狼も神と言ったことが書紀や万葉に見え、伊邪那岐命が桃子(もものミ)に「意富加牟都美(おおかむつみ)命」と命名したこと、磐根、木の株、艸(かや)の葉などがよく物を言ったのも神である。海山を神と言った例もあるが、それはその御霊を言ったのでなく、直接にその海や山を神と呼んだのである。これらも畏れ多い存在だからである。】
神はこのように様々であり、貴い神、賤しい神もあれば強い神、弱い神、善い神、悪い神もあって、心も所行もそれぞれの本性に従ってとりどりなので【貴い賤しいにしても段階があって、最も賤しい神の中には勢いが弱くて、凡人にも負ける神さえいる。狐などは、怪しい業を為すことでは人間に優り、まさに神なのだが犬にも負ける賤しい獣である。しかし、そういう賤しい神ばかり知って、どんな神でも人間の理屈で対抗することができ、おそれ畏まる必要まどないと考えるのは、神には高い神と賤しい神があって、その威力にも差があることを知らないための間違いである。】
およそ一つの基準で定めても、論じることのできない存在である。【それなのに世人が、外国で言う仏や菩薩、聖人などと同じようなものと考え、当然の理ということをもって神の意志を測り知ろうとするのは、とんだ間違いだ。邪悪な神は、理に合わないことを行われることが多く善い神ではないから、それに従っていては正しい理では起こるはずのないことが起こり、事によって怒りに逢い、荒びて災いになることがある。またそうした悪神も、喜ぶときは心が和んで幸運に恵まれることも絶対にないわけではない。また人の知恵の及ぶところではないが、その神の行われることが一見悪いことのようでも実際は善いことであり、逆に一見善いことのようでも本当は悪いことだったということもある。人の知恵には限りがあり真の理は分からないので、とにかく神のご意志はみだりに測り知ろうとするものではない。】まして善神も悪神も非常に尊い神々の行いに至っては、極めて霊妙で測り知れず深いものなのだから、人間の小さい智恵では神の理の千に一つも理解できない。ただその尊いことを尊び、可畏い(かしこい)ことをかしこむべきである。
【「迦微」に神の字を当てたのは、よく当たっている。ただ「かみ」というのは体言(名詞)で、その存在を指示している言葉であって、その行いやその徳を言うのではないのに漢国では神とはそのものを指して言うだけでなく、その事や徳をも言い体言にも用言(形容詞)にも使う。たとえば漢の書に神道と言うのがあるが、それは測りがたくあやしい道ということで、その道のありさまを形容するのに神という言葉を使っているのであり、その道の他に神があるというものではない。しかし皇国で「かみの道」と言う場合は神の始められた道という意味であり、その道のあやしいさまを言っているわけではない。
「かみなる道」と言えば漢国の意のようになるけれども、それもなお具体的な道を言っているので、その道のさまを形容しているのではない。およそ皇国の言葉の意味と漢国の言葉の意味は完全には一致しないことが多いのに、一部合わないところがあっても大体似た意味の字を当てたのだから、合わない部分があるということをよく心得ておくべきである。
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