2019/05/26

アリスティッポス(1)「流れる雲のように自由なる快楽主義」


 この章では、「自然に逆らわず大空を悠々と風に流れる雲のように、自然でおおらかに快を楽しみ」、それでいて「厳しく己を律して生き抜いた」ソクラテスの弟子「アリスティッポス」を扱います。

 さて、私たちがソクラテスの弟子達について物語る時、第一の文献として使う古代の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスは、「快楽」をその哲学の中核に据えていた「キュレネ学派」の祖として「ソクラテスの弟子アリスティッポス」を語ってきます。

 ところがそれにも関わらず、現代のソクラテス研究者は、ソクラテスに「快楽主義」など読み取れないとして、古代の哲学史家ディオゲネスの証言を否定してしまいます。そして、このアリスティッポスに関してさまざまの疑問を呈し、中には彼をキュレネ学派の祖とすることはできないなどと、論拠も示さずに平然と指摘してしまう研究者もいます。

しかし、古代の哲学史を語るのにディオゲネス・ディオゲネスを無視したり否定するのは、相当に確実な根拠が無い限りできないことです。もちろんディオゲネスには「人づての話し、噂、推測など」が充満していますから、間違いも誤解も論拠のない話もたくさんあると考えられ、記述をそのまますべて信じることはできませんけれど、根本からひっくり返すには明晰判明な確実な論拠が必要で、アリスティッポスに関して今のところそんなものはないので、私達は「ソクラテスの弟子としての快楽主義者アリスティボスがキュレネ学派の祖」として扱っていきたいと思います。

 そこで問題ですが、では「快楽主義者」アリスティッポスは何故「ソクラテスの弟子」たり得たのか。それを見るためには、彼が言うところの「快楽の内容」が問題になってくるでしょう。

アリスティッポスの生まれ
 アリスティッポスについての生まれや死の年については何も伝えられておらず、詳しいことは全くわかりません。哲学史では年代をできるだけ推定して示そうとするので、彼についても推定の年代が示されていますが、これは推測でしかありません。

 ただ、確かなのは「ソクラテスが死の時(紀元前399年)アリスティッポスはまだ存命中」で、その「ソクラテスの臨終に立ち会うのが期待される人々」の一人であるということは、プラトンの著作『パイドン』に記されています。ただしプラトンは、アリスティッポスはアテナイと目と鼻の先にあるアイギナ島に行っており臨終の時には来なかった、と批判的な言い方をしています。生まれた場所については「北アフリカ(現在のリビア東部)のキュレネ」とされています。そしてソクラテスの死後、故郷に帰って開いた学園が「キュレネ学派」というわけでした。

 また、彼はソフィストと同様に、その講義で謝礼をとって大金を得て、それをソクラテスに贈ったけれどソクラテスから送り返されたと伝承にありますので、ソクラテスの存命中に、すでに彼は人に教えることで金が得られるひとかどの者になっていた、ということも言えるでしょう。また他方で、哲学史家ディオゲネスの伝えるアリスティッポス伝承の中に、プラトンの名前がよく出てきて「行動を共にしている」ので、プラトンと大きな年齢差があるとも考えられず、だとするとおよそプラトンとは五歳から十歳くらいの年長かとも想像されます。

アリスティッポスの人柄
 ところで、元来哲学とは「良き人、よき人生をつくる」ということが目的で、その「良さ」の理解のところで、さまざまの学派が形成されていったのでした。ですから古代の哲学者の場合、その哲学を理解しようとういう時には、先ずはその人の「人となり・人生」を見ていくことが重要になるわけです。「快楽主義者」といわれるアリスティッポスについては、どのような人間像が見られるでしょうか。

 彼の場合、一言でいうと「何にもこだわらずに、現にあるものからの快楽を享受した」ということになるでしょう。ですから「快楽主義」と言われるのですが、しかしこれは「むやみに快楽を追求する」「何時も快楽を追求する」「強く快楽を追求する」というのとは違っていて、伝承では「現にないものの快楽を渇望して、それを追い求めるということはしなかった」のでした。ですからまた「現にある快楽に執着しない」ことも挙げられます。

 以上のような彼の立場を良く現す一つの逸話を紹介すると、彼が一人の芸子と懇ろにしているのをある人に咎められた時、「僕が彼女を持っているのであって、彼女に僕が持たれているのではない。要は快楽にうち勝ってこれに負かされないことであり、快楽を控えることではないのだ」というのがあります。

また、娼婦の家に行ったとき、同行していた若者が躊躇したとき「危険なのは入ることではなく、出てこれなくなることだ」と言ったというのもあります。これは、いずれも当時の習慣としてあった「娼婦」の場面での話で、私たちとしてはちょっと素直に聞き難い話とも言えますが、この「娼婦」のところに「お金とか酒とかその他、私達が溺れてしまいがちなもの」を入れてみればいいでしょう。そうすると、酒で言えば「僕が酒を飲んでいる(支配している)のであって、酒が僕を持っている(支配している)のではない(つまり酒に溺れてはいない)」というわけで、「酒がいま現にあるのなら、それをおいしくいただくが酒に飲まれてしまうこともなく、得られもしないときに酒々と騒ぐこともない」となり、要するに「酒を愛し、しかし酒に溺れない」「酒があればこれを喜ぶ、しかし無い酒を求めて騒ぐこともない」として理解すれば、分かりやすいかもしれません。

いずれにしても「いまある快楽は享受してよい、しかしそれに執着して入れ込んで、奴隷状態になっては駄目だ」というわけで、彼の立場がよく表現されています。ですから、また彼はアエリアヌスという人の証言によると「過ぎ去ったことをくよくよしても仕方がなく、これから先のことを気にやんでもならない、そうならないことが心の晴朗であることの証」である、としていたようでした。

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