2023/12/12

菩提達磨(2)

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禅宗の初祖は菩提達磨とされる。

彼は6世紀初め頃南インドから中国に来て、梁の武帝に見えたと伝えられるが、その素性ははっきりせず謎が多い。

 

「続高僧伝」では、達磨について

「南天竺のバラモン種なり。志、大乗に存し虚寂に冥心し、微に通じ数に徹して、定学これを高し」

と伝えるだけである。

 

達磨の説く定法について「定法を聞いて多く譏謗(きぼう)を生ず」とあることから、彼の定法(禅)は誹られ、すんなりとは受け入れられなかったことが分かる。達磨の素性は確かでなく伝説的であるため、慧能(六祖)以降創作された人物だと考える人も居るくらいである。

 

達磨は道に入る方途には、理入(理論入)と行入(実践入)の二種のルートがあるとした。理入とは

「教によって、人の本性は全て同一の真性を持っていることを壁観に凝住して悟る」

こと。これが基礎理論である。行入とは報怨行(ほうおんぎょう)、随縁行(ずいえんぎょう)、無所求行(むしょぐぎょう)、称法行(しょうぼうぎょう)の四行の実践である。

 

20世紀初頭に敦煌で発見された、いわゆる「敦煌文献」の中に達磨の語録として伝えられる「二入四行論」という書物がある。それによると

「理入とは、教えを藉()りて宗を悟るを謂う。すなわち含生凡聖の同一真性(しんしょう)の、ただ客(きゃく)(じん)に妄覆せられて、顕了することの能わざるを深く信ずるなり。もし妄を捨てて真に帰し、壁観に凝住して自他凡聖等一に堅住して移らず、更に文教に随わざれば此に即ち理と冥符して、分別有ること無く寂然として無為なるをこれを理入と名づく」

とされる。

 

含生凡聖の同一真性(しんしょう)とは仏性を指していると考えられるので その意味は

「理入とは全ての人は凡聖に拘わらず、本来清浄なる仏性を有しているが、煩悩に覆われていて輝き出ないだけであるという大乗仏教の原理的教えを信じて悟ることである。もし壁観に凝住すれば、分別が無くなって寂然として無為なる心の状態(真)に入ることができる。これが理入である。」

となるだろう。

 

ここで「壁観に凝住する」と言う言葉が出てくる。これに対して色んな解釈があるが、ここでは「心が集中状態(禅定、三昧)に入って分別意識が動かない」ことを言っていると解釈しよう。

 

達磨は理入という概念によって、大乗仏教(涅槃経、如来蔵経など)で導入された<仏性>思想を坐禅と結びつけ

「全ての人に内蔵される仏性が、坐禅修行によって顕に輝き出るのだ。」

と主張していることが分かる。このことは涅槃経(大乗)などで導入された<仏性>の概念を信じ、その基礎概念(理論)の上に彼の禅を展開していたことを示唆する。

 

では四行(報怨行、随縁行、無所求行、称法行)の具体的内容は何だろうか?

その意味するところは、次の通りである。

 

報怨行:現世の苦しみは過去の業(行為)の報いであると考えて、不平の心をもたない。

随縁行:苦楽は因縁によって生じたものと考えて、勝敗栄誉などにも心動かされることなく平常心を保つ。

無所求行:全ての存在が本来空で、求めるところがないと愛執貧着(あいしゅうとんちゃく)の心を離れる。

称法行:「仏性清浄、人法無我」の理に徹して自他双利の行為を実践する。

 

達磨の「二入四行論」の構造を分かり易く示すと図1.1のようになる。

図1.1:達磨の「二入四行論」の構造

 

図1.1を見ると坐禅は理入の方に入る。

「禅定(壁観に住すること)によって仏性を顕在化させ輝き出させる」

という理論と行入は並立している。唐代に確立した禅では、坐禅が主で行(戒)は従になる。そのためか四行を特に言うことはない。唐代に確立した禅宗では達磨禅の理入のみが残り、行入の四項目は消失し単純化したと言えるだろう。

 

達磨への迫害

達磨は壁観バラモンと呼ばれ「大乗壁観」を主張した。達磨は批判迫害を受けたと伝えられる。「教外別伝」を説く達磨の主張はこれまでの仏教、特に大乗経典に基づく仏教とは異なる。

 

彼のこの主張は、経典に基づく教えが仏教(仏陀の教え)であると信じる中国の仏教徒にとって受け入れ難かったと思われる。 このため達磨は批判迫害を受けたのではないだろうか。

 

実際、慧能、大珠慧海、黄檗希運等初期の禅匠達の禅語録を読むと、大乗経典の引用が非常に多い。彼等初期の祖師達は自分達の説く頓悟禅(南宗禅)がたとえ「教外別伝」であっても、大乗経典の教えと矛盾しないものであると主張することで仏教の市民権を得ようと努力したと思われる。

 

楞伽経(りょうがきょう)の伝授

「続高僧伝、達磨伝」のなかで、注目されるのは四卷楞伽(りょうが)の伝授である。四卷楞伽とは、求那跋陀羅訳(A.D.443)の四卷本「楞伽経(りょうがきょう)」を指している。達磨禅師は四卷楞伽(りょうが)を以って、僧慧可(中国禅第二祖)に対し伝法の経典として授けたとされる。

 

四卷楞伽(りょうが)には

「禅には愚夫所行禅、観察義禅、攀縁如禅、如来禅の四種の禅があるが、究極の禅は如来禅である」

としている。達磨は四卷楞伽(りょうが)に説かれる<如来禅>が、自らの禅であると主張したかったと思われる。

 

唐時代に活躍した華厳と禅の学者、圭峰宗密(けいほうしゅうみつ)780841)は、彼の頃まで中国で行われた禅を

1.外道禅

2.凡夫禅

3.小乗禅

4.大乗禅

5.最上乗禅

の五種類に分類した。

 

第1の外道禅は仏教から見たら異教の禅で、本来はヨーガやジャイナ教の瞑想法を指す。ここには白日昇天と不老長生をめざす、中国の仙道を含めていると思われる。凡夫禅は善因善果、悪因悪果の理法を信じ、悪業の苦を逃れ昇天をめざすもの。小乗禅は生老病死などの無常観から出発する小乗仏教 (部派仏教)の禅。大乗禅は一切皆空の般若の真理を観ずる禅である。最上乗禅は如来清浄禅とも呼ばれ、達磨直伝の禅がそうだとされる。

 

達磨禅は達磨から慧可に伝わった。慧可(えか)は中国における禅宗の第二祖とされる。慧可(えか)の禅は楞伽系の禅とされる。達磨の禅を嗣いだ者に慧可(えか)の弟子僧サン(そうさん)がいる。僧サンも慧可の楞伽系の禅を嗣いだと思われる。

 

達磨禅の発展

歴史的には、中国において達磨が伝えた禅(達磨禅)のみが発展進化した。

達磨の禅は慧可(467~593)に嗣がれる。慧可の禅は弟子僧サン(そうさん)に嗣がれたと伝えられている。後世の禅宗の系譜では達磨は中国禅の初祖、慧可は二祖、僧燦は第三祖とされる。

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