「ロッシーニの料理」より引用
<ロッシーニが、このようにすっぱりと音楽界から身を引いたのには、かなり作為的なものを感じずにはいられない。つまり後世に名を残すために、わざと絶頂期に引退したのではないか、と思われるフシがあった。
ロッシーニの流行らせたオペラは、それまでの正統派オペラとは趣を異にした「オペラブッファ(opera buffa)」である。それまでのオペラが神話や伝説にテーマを採った、いわゆる貴族趣味的な高尚なものだったのに対し、ロッシーニが旋風を巻き起こした「オペラブッファ」は、普通の日常を題材に採った肩の凝らない内容の、要するに「喜歌劇」である。
同時代に活躍した、ドニゼッティ、ベルリーニとともに「オペラブッファの三巨頭」として、オペラブッファ旋風を巻き起こした。が、人間とは飽きっぽいものであり、また流行というものはいつまでも続くものではない。
ベルカント・オペラ(bel canto opera)の巨匠・ベルリーニは若くして夭逝してしまい、それに代わって、後にイタリアオペラ界に君臨するヴェルディが登場してくる。ヴェルディによって、本来の正統派オペラ=セリア(opera seria)への回帰を渇望する動きが高まりを見せ、ブームの続いたオペラブッファも、そろそろ下火になりつつあるという背景があった。
元々、ロッシーニはグルメな人である。グルメは、おいしい物をおいしい時に食べ、不味い物や旬を過ぎて不味くなったものは、食べないものだ。ロッシーニの突然と思われた引退も、実はこうした背景を読んでの緻密な計算によるものだったのだと思えば、あながち不思議ではない気がするのである>
<トゥルヌドそれ自体はフィレ肉の上等な部位だから、そのステーキを「ロッシーニ風」と称するには別な条件がいる。それが肉に乗ったトリュフとフォアグラ。この組み合わせをロッシーニが頻繁に料理へ用いたことから、現在は料理用語辞典でも「ロッシーニ風」を「トリュフとフォアグラの付け合わせ」と説明している。世界三大珍味のうち2つのカップル、ロッシーニはそれを自分の料理の基本素材にしたのである>
<イタリアの研究家アーダ・ウルバーニによると、トリュフ(truffe [仏]、tartufo [伊])に関する記述は、紀元前3000年のメソポタミアに遡る。もちろん古代ローマでも珍重されていたが、イタリア半島では採れずに中近東や北アフリカから輸入したという。その後、帝政ローマ末期に忘れられ、再び王侯貴族の食卓を飾ったのは、ルネサンス時代であった。
ブリア=サヴァランが「料理のダイヤモンド」と呼んだこの珍味、ロッシーニは作曲家らしいニックネームを与えた。それが「きのこのモーツァルト(Mozart dei funghi)」である>
<トリュフとひと口に言っても様々な種類があり、ロッシーニの生まれたマルケ地方だけでも16種に分類されている。一般には、黒トリュフと白トリュフに大別され、日本ではフランスのペリゴール産黒トリュフが最高級品。これに対しイタリアでは、香り高いピエモンテ産が「アルバの白トリュフ」として珍重されている。値段は香りの強さや形の良し悪しで異なり、上質な白トリュフはキロ30万~40万円とフランス産の三倍の値がつく>
<ロッシーニが愛したのは、中部イタリア・ウンブリア産の黒トリュフと、北イタリア・ピエモンテ産の白トリュフ。新鮮な白トリュフのサラダを考案した彼は「トリュフを生食した最初の人」という評判を得た>
トリュフにまつわる、ロッシーニのエピソードを紹介しておこう。最初は、著名な作家ゴンクールが1876年1月20日の日記に記した、貴族のサロンで披露されたエピソードである。誰かがパガニーニの演奏会を聴いた翌日に、ロッシーニがこのヴァイオリニストに宛てた手紙の話をした。その中でロッシーニは、自分の人生でかつて3度しか涙を流したことがないと告白した。
最初は、自分のオペラが初めて観客に野次られた時。2度目は友人たちとの舟遊びで、手にしたトリュフ詰め七面鳥を湖に落として。最後は、前日パガニーニの演奏を聴きながら。もう1つはエウジェーニオ・ケッキ『ロッシーニ』(1898年)に紹介された笑い話である。
友人との賭けに勝ったロッシーニは、トリュフ詰め七面鳥を受け取ることになっていた。ところが負けた方は、そのことをすっかり忘れてしまっていた。 しびれをきらしたロッシーニは、友人の家を訪れ訊ねた。
「例のトリュフ詰め七面鳥は、いつ食べられるのかね?」
「それがですねマエストロ、まだ最高級のトリュフが採れる季節じゃないのですよ」
「まさか、そんなはずはない!
七面鳥がトリュフを詰められるのが嫌で、そんなデマを流したにちがいない!」
「トゥルヌド・ロッシーニ」と並ぶロッシーニの創作料理の傑作、それが銀の注入器でフォアグラとトリュフのソースをマカロニに詰める「注入マカロニ、ロッシーニ風 Maccheroni siringati alla Rossini」である。今では忘れられたこの料理、19世紀のパリ美食界でセンセーションを巻き起こした。
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