2009/10/11

大文字の謎(1)

出典http://kyoto.nan.co.jp/

ところで今更ながらだが、ここで「大文字」とはなにかという基本的なところから、確認していきたい。


 盆の精霊様の迎え火・送り火の変形した観光行事で、祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つである。他界(あの世)の祖霊を、天空から山を通じて家々に迎える趣旨からいうと、百八松明と同じく本来は迎え火の行事であった。

 

著名なものは、京都市東山の如意ヶ岳の西峰大文字山で、毎年816日(もとは旧暦716日)の夜行う火祭りで、それゆえ送り火の代名詞のごとく言われている。 山の中腹に地元の人たちがマツの割木を組んでおき、一斉に火をつけて「」の文字を浮き出させる。市民や観光客は、遠望して観賞する。

 

その他に、衣笠金閣寺山(金閣寺大北山の「左大文字」)にも同じものがあり、西賀茂船山では船形、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)では妙法、嵯峨曼荼羅山(水尾山)では鳥居形がある。これらが同夜相前後して点火され、これを五山送り火と呼んでいる。

 

同類の行事は全国に点在し、神奈川県箱根の大文字焼きも著名であるが、山梨県北杜市須玉町では万灯火(まんどび)といって、盆の13日から15日まで毎夜、集落から見える山の斜面に青年たちが麦稈を置いて焚き「キ」「正」、酉年なら「トリ」、15日は「止」などの文字を浮き出す>

 

とある。

 

次に「大文字焼き」の起源を見ていくことにする。

 

大文字に代表される送り火の起源について、それぞれ俗説はあるものの不思議と確実なことはわかっていない。まず送り火そのものは、再び冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事であるが、これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは、室町から江戸時代以後のことであると言われている。古くは旧暦7月16日の夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送る、という風習を記した史料がある。これに対し、現在の五山の送り火は山において点火されるという、精霊送りの形態をとっている。


  816日午後8時から、京都盆地の周囲の山に、炎で描かれた「」、「妙法」の文字や鳥居、船が次々に浮かび上がる。お盆に迎えた精霊をふたたび冥府に返す精霊送りの意味を持つ、あくまで宗教行事である。市内の川沿いや御所など開けたところから遠望することができ、関係者は静かに手を合わせ先祖に思いを馳せて欲しい、としている。

 

今では夏の風物詩として有名な大文字の送り火ですが、その起源や由来が謎に包まれている事は意外と知られていません。長らく日本の首都であった平安京では、その殆どの行事や風物は朝廷などによる公式な記録が残っていますが、大文字の送り火については、そのような公式記録がなく、「いつ、誰が、何のために」始めたのかは、謎のままになっています。

 

「あくまでも民衆による自発的な行為だったので、記録されなかったのでは」とも言われていますが、今でも現代人の目を惹く大文字、昔の人々にとってはさぞかし夏の夜の一大パノラマだったでしょう。

 

その大文字に朝廷が何の意見も述べていないのは不思議ですし、また昔は京都周辺の殆どの山々で送り火が燃やされていた時期もあるとも伝えられており、そのような事が朝廷の許可なく行われていたとは考え難いです。それとも、山々に灯す送り火は、わざわざ書き留める必要もないほどの自然な行いだったのでしょうか。

 

と、あくまで謎に包まれているのである。 


 その謎を解きあかすには「日本人とお盆」、「京都でのお盆」を探ってみなければならないらしく、ここで「盂蘭盆(うらぼん)」というモノが登場してくる。

 

元々、お盆とは中国から伝来された仏教行事のひとつ盂蘭盆の略で、日本では盂蘭盆会(うらぼんえ)とも言われています。語源は梵語のウランボーナで、逆さ吊りの苦しみを表します。

 

ある時、釈迦の十六弟子の一人である目連は、自分の生母が餓鬼道に落ち逆さ吊りに苦しんでいる事を霊感しました。そこで7世代前までの父母の霊を救うために、百種の供物をしたというのが盂蘭盆の始まりとされています。

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