2014/09/08

天地初發の段

口語訳:天地が初めて開けたとき、高天の原に生まれた神の名は、天之御中主神という。次に高御産巣日神、その次に神産巣日神が生まれたが、これらの神はいずれも単独の神で、そのまま隠れた。

 「天地開闢」であって「天地創造」ではない。

 ここが、日本神話の重要ポイントである。

 ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』では、まず最初に「神」が存在し、この絶対神が天地を始めすべてを創世していく

 これに対し日本神話では、まず天地が開闢してそこから神々が誕生する

 「天地(あめつち)」が始まりであり、神々もこの天地から生まれる

 これが山や川などの自然や自然現象を敬い、それらに八百万の神を見いだす「神道」の自然信仰である。
 
●本居宣長訳  
天地(あめつち)は「阿米都知(あめつち)」を漢の文字で書いたもので、天は「あめ」である。なぜ「あめ」というのか、その意味は分からない。そもそもいろいろな言葉の起こりを突きとめることは極めて困難であり、それを強いて解釈しようとすると、必ずおかしな解釈が出てくるものである(略)
しかしながら、全く解釈しないで済ませるわけにも行かない。考えつく限りのことは、試みに言ってみてもいい。その中には、たまに当たっていることもあるはずだ。私にも、こうだろうかと思っていることはあり、それを述べてみる。

天(あめ)は空の上にあって、神々のおられる国である。【この他に理屈で細々と論じ立て、あるいはその形までもあれこれと推し測って言うのは、みな外国で言うようなことで、いにしえの伝えではないので問題にならない。】

地は「つち」だ。名前の由来には、思い当たることがある。後述する。「つち」と言うのは、元々泥土(ひじ)が固まって国土(くに)になったから言う名前で、小さいのも大きいのも同じように呼ぶ。小さいのはひとつまみの土も「つち」と言い、広く海に対して陸地も「つち」と言うのだが、天に対して「あめつち」と呼ぶときは海も含まれる。【新撰姓氏録で、海神(わだつみ)の子孫も地祇に入れているのは、地(つち)は海をふくむからだ(略)

「くに」は限りの意味だというのは、天照大御神と月読命は天の昼と夜を分けてお治めになるが、須佐之男命が天に上がったとき、天照大御神が「我が国を奪おうとしている」と言ったこと、皇祖神は「月読命は夜食国(よるのオスクニ)を治めよ」と言ったこと、また須佐之男命には「海原を治めよ」と命じたが「その命じられた国を治めなかった」とあり、万葉集巻二の人麻呂の挽歌(167)に「天皇之敷座國等、天原石門乎開、神上上座奴(スメロギのシキマスくにと、アマノハラいわとをヒラキ、かむあがりアガリマシヌ)」とあるなど、みな範囲を限って治めるところを、天でも「くに」と言う。これらを考えると「くに」は、本来「あめ」の対語ではなかった。だが天つ神、地つ祇、また神名に天の某、国の某とあるのは、地はある限りすべてが天孫の治める領土であるため、自ずから天に対して「つち」と言うべきところも「くに」と呼ぶことになった。天つ神、国つ神というのも、神名なども天孫が地上を治められるようになってから名付けられたからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿