口語訳:さらに左の目を洗ったところ、天照大御神という名の神が生まれた。次に右の目を洗ったところ、月読命という神が生まれた。次に鼻を洗ったところ、建速須佐之男命という神が生まれた。この条で八十禍津日神から速須佐之男命まで、合わせて十四柱の神は、禊ぎによって生まれた神である。
於是洗左御目時(ひだりのみめをあらいたまいしときに)。これは既に述べた十一柱の神が生まれた後のことである。だから書紀には「その後、左目を洗ったときに云々」と書いてある。【つまり、目や鼻を洗ったのは、前記の水底、中、水上での禊ぎは終わった後のことである。】たぶん目や鼻を洗っている最中に生まれたのでなく、洗い終わった時点で生まれたのであろう。それで「洗う」をすべて「あらいたまいし」と読んでおく。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)照は「てらす」と読む。万葉巻十八【三十三丁】(4125)に「安麻泥良須可未(あまてらすかみ)」とある。【ただし「てる」と読むのも間違いではない。神名帳には「あまてる」神社も多く見える。】
これは天を照らすというのでなく「てる」を延ばして「てらす」と言うのが古言の活用法であって【「立つ」を「立たす」と言うのと同様である。】天照というのは天にいて照り輝く意味であり、高光るというのと同じである。【三代実録元慶四年、藤原基経を太政大臣に任ずる宣命で「朕我食国乎、平久安久天照之治聞食須故波、此大臣之力奈利(あがオスクニをたいらけくヤスケクあまてらしオサメきこしめすユエは、このオオキミのちからなり)云々」とあるが、これはこの大神になぞらえて、天皇が天下を治めることも「天照」と言った珍しい例である。】
「大」の字を延佳の本でみな「太」に改めているのは、さかしらの間違いである。【伊勢ではすべて「太」の字を書くので、それを正しいと誤解したのである。しかしこの記の諸本、書紀にもすべて「大」の字を書いてあり、その他の古い書物もすべてそうなっている。】普通は「御」の字を省いて大神と書いているが【大神と書いて「おおんかみ」と読んでいる。「おおんかみ」は「大御」が音便で訛って言うのである。物語などで「御」の一字を「おおん」と読むのも元は「大御」のことで、今の俗語でも「おみ誰それ」と言うのも同じだ。これを重言(御神の御が重なっている)とするのは間違っている。】
万葉、続日本紀、祝詞などにも、たいていは大御神と書いている。【御を「み」と読み、神の「か」は清んで読む。】
書紀には「ここに共に日の神を生み、名は大日孁貴(おおひるめのむち)、一書に天照大神と言い、また一書には天照大日孁貴尊」とある。【ここで「天照大神」を「一書に曰く」として挙げたのは間違いである。「またの名は」とあるべきだ。というのは、この後はすべて天照大神という表記であるから、一書の説ではない。一書の説とするなら、前後を書き誤ったのだろう。師の説では「大日女貴の女(め)は『み』に通い『もち』が縮まったのである。月夜見の『見』と対を成す語だろう。貴の字は適当でない」と言った。これについて、今宣長が思うには、書紀の訓注に「おおひるめのむち」というのは、元は「おおひるむち」であり、後代の人がさかしらに「めの」の二字を加えたのではないだろうか。この他、どの本を見ても「ひるめの命」、「ひるめの神」などとあって「ひるめのむち」とは書いてない。だから「おおひるむち」と言うのは「むち」がつまり「め」に当たるのである。】
一書には「天照大神と名付ける」とあり、一書には「大日孁貴尊(おおひるめのみこと)という」ともある。万葉にも「天照日女命(あまてらすひるめのみこと)」と歌った例がある。
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