ロシアの歴史は、1000年以上あり、6世紀-7世紀の東ヨーロッパ(ロシア)平野における東スラブ人の再定住から始まる。東スラブ人は後にロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人に分かれた。ロシアの歴史は、大きく7つの時代に分けることができる。
キエフ大公国(キエフ・ルーシ)(9世紀 - 12世紀)、タタールのくびき(13世紀 - 15世紀)、モスクワ大公国(1340年 - 1547年)、ロシア・ツァーリ国(1547年 - 1721年)、ロシア帝国(1721年 - 1917年)、ソビエト連邦(ロシア共和国)(1917年 - 1991年)、ロシア連邦(1991年以降)である。
概要
伝統的にロシアの歴史の始まりは、ヴァリャーグの一人、リューリクが862年にラドガを支配し、ノヴゴロドを建設したところからだと考えられている。882年には、ノヴゴロド公オレグがキエフを征服し、一つの権力の下で東スラヴの北部と南部の土地を統一し、キエフ大公国の基礎を築いた。
988年には、ウラジーミル1世がビザンティン教会(東方正教会)からキリスト教を受け入れ、東ローマ帝国のビザンティン文化とスラヴ文化の統合を開始した。しかしキエフ大公国は、1237年から1240年にあったモンゴルのルーシ侵攻の結果、崩壊した。
モンゴルから開放後の14世紀、支配下に置かれなかったノヴゴロド公国とウラジーミル・スーズダリ大公国は、リトアニア大公国の一部となった。イヴァン3世の時代にはロシアによる単一国家が形成され、16世紀初頭にはモスクワ大公国を中心に北部と東部の諸侯国を統一し、ロシア・ツァーリ国が建国される。最初の君主はイヴァン4世だった。イヴァン4世による統治の始まりは、最初のロシア議会(ゼムスキー・ソボル)の設立によって示された。
その後、国家は大きく領土を拡大し、汗国のジョチ・ウルスを併合した。そしてロシア・リトアニア戦争(ロシア語版)に敗れたリトアニア大公国は国家の独立を失い、南ロシアの土地をポーランドに譲渡した。後に、フョードル1世の死とリヴォニア戦争の敗北、それにオプリーチニナの失敗の結果、ノヴゴロド公国から存在したリューリク朝は終焉を迎え、動乱時代を経て新たにロマノフ朝が台頭し、ロシア帝国が成立した。これと同時に農奴制が始まった。
18世紀から19世紀にかけて、国家は絶えず拡大を続けバルト三国、黒海北部地域、コーカサス地域、フィンランド、中央アジアをポーランド分割の間で獲得し、ザカルパッチャを除くロシアの旧領地の全てを支配した。19世紀初頭、ロシアはナポレオンを撃破(1812年ロシア戦役)し、数十年にわたって「ヨーロッパの中央国家」となった。1825年に君主制を制限して、農奴制を廃止しようとしたデカブリストの乱は鎮圧された。その後も幾つかの革命が起きたが、成功には至らなかった。1861年には奴隷制は廃止されたが、1905年から1907年の革命までは、土地の償還金という形で農民の封建的な依存の形態が実際に温存されていたため、市民の間でかなりの不満が生じた。
奴隷制廃止後に可能となった農民の都市への流入は、19世紀末の産業革命に繋がるとともに革命運動が大きく発展し、帝政ロシアを打倒するための革命集団が出現した。20世紀初頭には、政治的、社会的、経済的に危機的状況に陥り、日露戦争にも敗れた。1905年のロシア第一革命の影響で、権力は議会を再設置し、基本的な権利と自由、私有地の所有権を認めるようになった。第一次世界大戦へのロシアの参戦は国内の問題を悪化させ、最終的には1917年の2月革命と10月革命とロシア内戦の勃発に繋がった。
レーニン率いるボリシェヴィキは社会主義国家建設の道を歩み、内戦とシベリア出兵の勝利を経て、バルト三国、ポーランド、フィンランドの独立を認め、旧ロシア帝国の領土の大部分にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の権力を確立した。1922年には、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が設立された。1920年代にスターリンが政権を握ると、工業化、集団化、そして大粛清の時代が始まった。ソ連は工業生産のレベルで世界第2位となった。
スターリンの統治時代に第二次世界大戦が勃発し、「大祖国戦争」が起きた。ナチス・ドイツと枢軸国を撃破し、4年間の戦闘で約2700万人が犠牲となった。ソ連はナチス・ドイツの敗北に決定的に貢献し、東欧・中欧諸国を「解放」してバルト三国を併合した。終戦後、ソ連は超大国の1つとなり、アメリカとの冷戦に突入し、北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO、WPO)が対立した。
20世紀半ば、ソ連は経済力、軍事力、科学力を積極的に高めて、1961年には世界初の有人宇宙飛行を成し遂げた。1980年代になると、国は経済・政治運営の「停滞期」に陥る。これを打開しようとしてゴルバチョフはペレストロイカを実行したが、この改革の試みは結果的にソビエト連邦共産党の解体とソビエト連邦の崩壊に繋がった。
ロシアの近代的な独立国家であるロシア連邦は、1991年12月に建国宣言をした。ロシアはソ連の正当な継承国で、国連安全保障理事会の常任理事国、ソ連の核兵器を保持していた。私有財産が認められ、市場経済のための進路が取られたが、1990年代後半の経済危機でデフォルトに陥った。2000年以降、プーチンの下でロシアの外交政策が強化され始め、数々の社会・経済改革が行われたことで、経済が大幅に成長し、国内の縦割り権力が強化された。2014年、ウクライナでの市民対立の激化と政権交代を経て、クリミア半島がロシア連邦に併合されたことで、多くのEU諸国や米国が鋭く否定的な反応を示し、ロシアに対して経済制裁を科した。
ロシア史として記述される歴史は、ロシアという国家の単線的な歴史であると同時に、歴史上ロシアに内包されたり、関わりをもったりしてきた様々な人々が出入りする複雑な歴史でもある。
名前の由来
ロシア(ギリシャ語:Ρωσία)という名前は、東ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス7世が「儀式について」と「帝国の管理について」で名前の原型であるルーシという名前を10世紀に付けた。キリル文字での記録で「ロシア (Росия)」という言葉が最初に使われたのは、1387年4月24日である。その後、15世紀の終わりから16世紀の初めに、頻繁に「Росия」または、「Русия (ルシア)」が使われ、ロシア北東部の自称としての地位を確立した。最終的にピョートル1世によって「Росия」に「с」を付け加えた現在の「Россия」という形が確立した。
ロシアは、1917年3月8日に起きた2月革命の結果、同年3月16日にロシア臨時政府が設立されその後、十月革命によりロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
(RSFSR)が成立した。1922年12月30日、RSFSRは他のソビエト共和国と共にソビエト社会主義共和国連邦を設立し、非公式に「ロシア」と呼ばれていた。
1991年12月25日のソビエト連邦の崩壊後、ソビエト連邦人民代議員大会はRSFSRをロシア連邦(ロシア)に改名する法律を採択した。
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