京都府綴喜郡井手町多賀に「穴虫」という地名があります。
「穴虫」は、奈良県香芝市にもあります。
・奈良県香芝市穴虫・・・高
・京都府綴喜郡井手町穴虫・・・多賀
・奈良県香芝市穴虫・・・高
・京都府綴喜郡井手町穴虫・・・多賀
共に近傍に「高、多賀」と「穴虫」地名があるのが共通です。
「穴虫」から連想する地名は「穴師」です。穴師は「あなせ」とも読み、あなせ=穴無瀬と表記した例も見られます。これから類推すると、あなし=穴無師と表記した可能性も考えられ、穴無師が穴虫に漢字表記変更された可能性を無視出来ません。特に漢字表記が日本で開始した頃は、1音1字の表記であった事も事実です。その後、奈良時代前半に2字表記するように指導が出たので「穴虫」に変更したという推測も可能です。
これが正しいとすれば、穴虫地名は漢字表記が日本に採用される以前からの古い地名であると考えられます。奈良県香芝市穴虫、京都府綴喜郡井手町穴虫の両所を実際に訪問し、また奈良県桜井市穴師も訪問て比較して見ました。共通点は
(1)山の斜面(谷、倉というべきか)にある
(2)古墳あるいは塚が近く(数km程度)にある
・奈良県香芝市穴虫・・・顕宗天皇陵、武烈天皇陵
・京都府綴喜郡井手町穴虫・・・「大塚」地名が隣にある
・奈良県桜井市穴師・・・景行天皇陵、崇神天皇陵ほか
・京都府綴喜郡井手町穴虫・・・「大塚」地名が隣にある
・奈良県桜井市穴師・・・景行天皇陵、崇神天皇陵ほか
よって調査からの推測は、次の通りです。
穴師は金属技術と共に、土木技術も持っていたと推定されるから古墳、王墓の造営を行っており、彼らが居住した所が「穴虫」、「穴師」と呼ばれた。
以上ではサンプル母数が少ないので、別の地域へ調査を広げました。
(1)岐阜県大垣市矢道町穴虫(現在「穴虫」地名は消失した。法務局資料で調査、確定した)
a) 金属発掘の可能性として、金生山(きんしょうざん)が近くにある
b) 現在は、田んぼの真ん中の平地である
c) 長塚古墳、高塚古墳跡がすぐ近くにある。約300~500m
(2)滋賀県草津市馬場町穴虫
(1)岐阜県大垣市矢道町穴虫(現在「穴虫」地名は消失した。法務局資料で調査、確定した)
a) 金属発掘の可能性として、金生山(きんしょうざん)が近くにある
b) 現在は、田んぼの真ん中の平地である
c) 長塚古墳、高塚古墳跡がすぐ近くにある。約300~500m
(2)滋賀県草津市馬場町穴虫
a)
丘の斜面にある
b)
近いと思われる古墳:安養寺古墳(2~3km)
(3)石川県加賀市大聖寺錦町穴虫
a)
未調査
b)
狐山古墳が近いと推定(未確認)
他に兵庫県宝塚市、大阪府交野市、岡山県日生町にもありますが、まだ現地調査出来ていません。奈良県の小字には、20~30件の「穴虫」があるようです。
最後に:京都府船井郡園部町黒田に黒田古墳群がありますが、別名「穴武士古墳群(あなぶし)」と云われています。穴武士=穴虫を暗示していると感じます。
全国にある「穴」のつく地名の由来を探してみた。「穴」のつく地名は穴沢、穴口、穴田などたくさんある。その中で、地名の由来が書かれているものを集めてみた。主なものを、以下に記す。
・山腰に大きな洞窟があった(穴地―新潟県大和町)
・赤城火山帯の噴出孔がある。むじな穴が多い(穴原―群馬県片品村)
・大石があり、その下に深さに分らない深い穴が開いている(穴石郷―大分県本耶馬渓町)
・細長い谷底部に広がる。穴窯によって、砂鉄の製鉄が行われていた。
・山腰に大きな洞窟があった(穴地―新潟県大和町)
・赤城火山帯の噴出孔がある。むじな穴が多い(穴原―群馬県片品村)
・大石があり、その下に深さに分らない深い穴が開いている(穴石郷―大分県本耶馬渓町)
・細長い谷底部に広がる。穴窯によって、砂鉄の製鉄が行われていた。
「あながま」が「あながも」に変化(穴鴨―鳥取県三朝町)
・穴を掘り、採鉱に従事する部民を意味する。三方を丘陵に囲まれた地域を指す(穴師―奈良県桜井市)
・「穴に伏す低地」という地形に由来する(穴虫―奈良県香芝町)
・狭長な河谷平野部沿いに位置する、穴のある窪んだところ(穴沢―岩手県岩泉町)>
・穴を掘り、採鉱に従事する部民を意味する。三方を丘陵に囲まれた地域を指す(穴師―奈良県桜井市)
・「穴に伏す低地」という地形に由来する(穴虫―奈良県香芝町)
・狭長な河谷平野部沿いに位置する、穴のある窪んだところ(穴沢―岩手県岩泉町)>
町村名は辞典が出版された当時のもので、最近の町村合併で町村名が変わっているものもあるかもしれません)
穴の付く地名の由来は、概ね二つに分類される。ひとつは、その地域に洞穴や洞窟など文字通りの穴がある場合。もうひとつは、山に囲まれた狭い穴状の土地である場合。つまりは「穴」のような地形の場所に「穴x」といった地名が付けられるようである。ただし「穴」の解釈(どのような形状を穴と呼ぶか)は、その地域によってそれぞれ違っている。くびれたような丸い形状の地形を「穴」と称する場合もあれば、細長く狭い谷状の地形を「穴」と呼ぶ場合もある。
ポリネシア語による解釈
二上山北側の穴虫峠を通る大坂道(近世には長尾街道)と、南側の竹内峠を通る当麻(たいま)道(竹内街道)は、古来大和と河内を結ぶ重要な街道でした。 この大坂は、穴虫峠の麓の現香芝市の逢坂の地名により、当麻は竹内峠の麓の現当麻町の地名によっています。
『日本書紀』履中即位前紀に、太子(履中天皇)が仲皇子に襲撃されて難波から倭へ赴く際、大坂道をとらず当麻徑を採るよう少女に助言され、竜田道を採った事が見えています。
この「あなむし」は、マオリ語の「アナ・ムツ」、ANA-MUTU(ana=cave,denoting continuance of action or state;mutu=brought
to an end,finish)、「近道(終わりに近づける峠)」の転訛と解します。
この「おおさか」は、マオリ語の「アウ・タカ」、AU-TAKA(au=firm,intense;taka=heap,lie in a heap)、「(傾斜の)厳しい高台(の土地)」の転訛と解します。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
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