2010/02/21

バンクーバー・オリンピック(1)

某選手の服装論争は、色々な人も書いていたし様々な論争があったようで、見ていると意外にも何をトチ狂ったか、問題の選手に好意的な発言が多いのに驚いた。

 

そもそも開閉会式すらみたためしがないくらい、競技以外のセレモニーの類には一切興味がないワタクシだけに、この件に関して詳しい経緯を知っているわけではないが、ざっと眺めた限り「たかが服装くらいのことで」というのは事の本質ではないと思う。服装が云々とか「国の代表」がどうこうというより、つまるところ問題の彼が子供っぽいとか態度が横着だとか結局のところその辺りが、あれだけ騒ぎを大きくした原因なのではないのか。

 

そもそも皇族や外交官でもない、たかだかスポーツ選手や大学生(或いはそれに類する若者)風情に、幾らなんでも「国の代表」を背負わせて「人間性」やら「品格」などを問うているような愚か者は居ないはずだ。が、この場合は「国家の代表」云々などというご大層なお題目は別としても、少なくとも成人として公式の場に出る時くらいは、それなりの構えや対処を求められるのは至極当たり前なのである(極端な話、マスゴミや大衆の目の届かぬ「私的な場」においては、いかに酷い格好をしていようが構わないと思っている)

 

ましてやオリンピックなどは、派遣や参加費用などの莫大な資金のかなりの部分は、我々の税金から捻出されるのだ。それでなくとも、この酷い不況と重税のダブルパンチで心がささくれ立っている納税者の心情を考えるなら、「こうすればどうなる?」というような想像力くらい少しは働かせようぜ、と言いたくもなろうというものだ(要は「空気読めよ」ということ)

 

節操のないマスゴミのことだから、これでまかり間違ってメダルでも獲ろうものなら、掌かえしたようにヒーローに祭り上げるところだったろうが、そうでなければ所詮「口だけのヤツ」で終わりなのである。結果が総てのシビアな世界にあっては、メダル狙いでイチカバチカの果敢なチャレンジをしようとも、メダル狙いの計算に基づいた高度な戦略が隠されていようとも、結果は「転倒」としてしか扱われないのがオチで、実際に長野五輪の「金」を始め、メダルを2度も獲得したあの偉大な里谷選手にして、あれだけの酷い扱いなのだから、里谷選手に比べれば殆ど実績のないK選手では言うに及ばずなのだ。

 

いや、Kなんぞを引き合いに出しては偉大な里谷選手に失礼過ぎるというものだが、不思議なことに泥酔スキャンダルの遥か以前から、10年以上に渡り金メダリストをそっちのけで「愛子愛子愛子愛子」を連呼し続けた偏向マスゴミは、寧ろ里谷選手の転倒を喜んでいたのではないか、とすら勘ぐってしまいたくなるのである(上村より上位に来たら困るからねw)

 

それはともかくとして「観戦記」である。ちょうど開幕から1週間が過ぎ、折り返しを迎えた。前回のトリノ五輪は、最後の最後で女子フィギュアスケートの荒川選手が「金」を獲るまで「メダル0」の危機に見舞われたが、この大会ではスピードスケート男子500メートルで長島選手が「銀」、加藤選手が「胴」のダブル受賞、そして男子フィギュアスケートでは、高橋選手が念願の日本人初のメダリストとなるなど、それなりの収穫があった。それにしても毎度のことだが、どう見てもまともな精神状態ではなかった織田にマイクを突きつける、ハイエナのようなマスゴミの無神経さは許しがたい。

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