ワタクシの数ある趣味の中でも、最も上位に位置するのがClassic音楽である。幸いにして、育った家庭にClassic音楽のレコードが山のようにあったことから、この趣味に自然に入ることが出来たが、これまで色々な人の話を聞いてみると
「日常生活の中で、Classic音楽などには縁がない」
と言う人が、かなり多いようだ。
ワタクシのような「聴く専門」の怠け者とは違い、子供の頃からピアノや楽器を習っていたような人なら、もっと幼少の頃からClassic音楽に馴染んでいて、当たり前のように日常生活の中にClassic音楽が溶け込んでいるのだろう。これを裏返して言うと、そのような習い事の経験がなく、なおかつ育った家庭環境もそのような音楽にはまったく無縁となれば、親しむ機会は殆どないかもしれない。
CMやそこここで使われているとはいえ、なんと言ってもTVなどでのべつまくなしに流され続けているお蔭で、洗脳(?)されやすい歌謡曲などの大衆向けの音楽に比べれば聴く機会は少ないだろうし、昨今のメディア多様化に至るまでの長きに渡り、TVの白痴番組によって洗脳された人々からすれば、聴き慣れないClassic音楽は馴染みにくいのかもしれない。
ただし、ワタクシはClassic音楽に馴染みの薄い人々に、この世界の素晴らしさを啓蒙しようなどという、ご大層なグランドデザインに基づいてこれを創設したわけでは勿論なく、他のチャンネルと同様、単に自らの趣味を満足させるために始めたに過ぎず、またそのような意図でずっと続けている。
そうは言っても自分が愛する趣味が、1人でも多くの理解者を得ることの喜びもなくはない。ましてや、それが自分の書いたものをきっかけに、それまで興味や関心がなかった人がClassic音楽に目を向けるようになったとしたら、これはやはり悦ばしくもあり意義もある。
これまで、この『10ちゃんねる』でClassic音楽に興味を持たれた人がどのくらいいるかは、まったく闇に包まれている(殆ど居ないとは思っているが)
仮に影響力はゼロであっても、所詮はブログなどというものは自己満足の場にすぎないのだから、自分自身が「発信する」という原点を今後も楽しめれば、それで充分なのである。
これまでClassic音楽関連の読み物というと、曲の解説が主流だった。大体において、このようなものを書くのは専門家が多いから、そういう傾向になるのは必然なのかもしれないが、幸か不幸かワタクシの場合は音楽にはズブの素人であり、また専門的な音楽理論的な知識もない。だから書こうにも書けないという事情もあるが、そもそも対象として想定しているのがあくまで素人の読者だから、専門用語がズラズラと並んでいるような解説書的な読み物などは、寧ろ退屈であるはずだ。
そこで、まずは作曲家そのものに焦点を当てた。これならば誰が読んでもわかり易いし、いかに偉大な作曲家といえども我々と同じ人間である。また幸いにして、他の芸術家などと同様に偉大な作曲家といわれる人には、我々凡人には図りがたいような奇人・変人が多いというのも、人間を描くという点において実に好都合である。
そのようにして、まずは作曲家の人間性を浮き彫りにした上で、それに興味を持った人たちが音楽にも目を向けていくことになれば、勿怪の幸いというのが狙いである。
ところが文字で書くのには、隔靴掻痒の感が大いにあった。当初は、まだYou Tubeのような動画サイトが登場する以前(或いは既に存在していたのかもしれないが、今日のような広まりはなかった)だから、仮に興味を持ったとしても実際にその音楽に接するとなると、CDを買いに行くかNHKのBSチャンネルなどの番組を観るというのが、数少ない手段だった。
しかしながら、実際にそこまでの積極的な行動に移すまでの影響力を与えるには、文字だけではかなり訴求力が弱いのだ。そこに、長年のジレンマがあった。ところが一昨年辺りから、ブログやコミュニティサイトでもYou Tubeなどの動画サイトのタグ埋め込みが可能となり、画面を開くと文章だけでなく動画の画面を一緒に表示することが出来るようになった。
これならばボタンをひとつ押すだけで、そこに書いてある音楽がすぐに始まるのだから
「では、ちょっと聴いてみようか」といった具合に、ハードルは一気に低くなったハズだ。
映像の威力とは恐ろしいもので、いかな意を尽くした文章といえ映像の訴求力にはまったく足元にも及ばない。これによって、これまで文章を読んだだけではもうひとつイメージが湧きにくく、もどかしい思いをしていた人も、文章と映像の相乗効果で吸収力が格段に増したことだろう。映像の訴求力の前には微々たる文章の力とはいえ、単に流れている映像を漫然と眺めているのではなく、文章解説であらかじめ仕入れた知識によって理解度が格段に高まるのである。
この動画機能によって、ワタクシの役割がこれまで以上に増した。動画を貼り付ける自体は誰がやっても同じではあるが、それに加えて文字で書かれた解説文が、動画の内容をより深く理解する一助となるということは前回も記したが、それだけではない。「動画の選択」という、最も重要な問題がある。
ご存知のように、You Tubeなどのサイトの動画は、実に玉石混交(と言うよりは「石石玉石石」というのが現実)である。有名曲、無名曲の別は勿論だが、Classic音楽の場合は曲の良し悪しもさることながら、さらに演奏が重要な要素となってくる。いかな名曲であっても、指揮者や演奏がヘタクソなものでは総てぶち壊しで、一流の指揮による一流の演奏があって、初めて「名曲」が生まれるのである。
ところが先にも触れたように、You Tubeなどのサイトの動画は、まことに玉石混交で 「なんで、こんなに酷いものを出したのか・・・」と耳を塞ぎたくなるような犯罪的に酷い演奏が、かなり数多く(というよりは大部分)混ざっているのだ。これでは折角の名曲も台無しであるばかりでなく、無知なままにこのような演奏を聴いてしまったばかりに、Classic音楽の魅力を理解できぬままに間違った偏見を持ってしまうという、不幸なケースも大いにありうるのである。
これは動画サイトに限った話ではなく、CD購入などの際にも同様のことが言えるのだが、そうならないためには曲や演奏の良し悪しを判断できる、一定の知識や経験を持った「ナビゲーター」の存在が必須となってくるのは自明の理である。
そこで僭越ながら長いClassic視聴歴を通じて、鑑賞眼が磨かれたと自負しているマニアの出番というわけである。これは、あくまで
「曲や演奏にも、それぞれの好みというものがあるではないのか?」
といった低次元の話ではなく、長い年月という審判を通して「名曲」と認定されている曲であったり、同様に指揮や演奏技術的に「一流」と評価されている演奏家であるという、客観的なコモンセンスに基づいた評価であって、この次元の選択において「嗜好云々」の入る余地はまったくない。無論「一流」と評価されている指揮者や演奏者であっても「凡演」も決して珍しくはないのがこの世界だから、ここからは自分の耳で吟味して判断するしかないのだが、それこそは知識や経験といった修練が最もモノをいうところであることは、どの世界でも同様である。
実際にやってみれば、実のところたった一つの動画を選択するのが、かなり大変な作業であることがわかるはずだ。まさに、ここが「ナビゲーター」の腕の見せ所というわけなのである。
※なお動画の選定は、いうまでもなく「音楽」の良し悪しであり、画像については二の次であることを付記しておく。
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