2012/07/11

宇都宮とギョーザ

宇都宮は、二荒山神社の門前町として発展してきた。

 

宇都宮という地名は当社に由来するものだが「一宮(いちのみや)の訛り」という説、遷座したことから「移しの宮」の転という説、「二荒山の神の現宮(うつつのみや)」という説など諸説ある。うち現宮説とは、御諸別宮と奈良別宮の二人の「うつつのみや」から「うつのみや」が、またこの二人の「あらぶる神」から「ふたあら」が起こったとする説である。

 

ところが、これで済まないのが歴史のある地名の由来である。これらはあくまで一説に過ぎまず、他にも下ノ宮から移しまつった「うつしの宮」説、樹木の鬱蒼と茂る丘上に鎮座する「鬱の宮説(うつのみや)」、さらに、「征討宮説(うつのみや)」、「内の宮説(うちのみや)」などなど。いずれの説も「二荒山神社の別称が地名に転化した」という点で変わりない。

 

ところで、宇都宮の地名はいつ頃から登場したのか?

 

歴史書や古文書によると、鎌倉期から見えるということだ。以来、宇都宮は二荒山神社の門前町として発展し、江戸期には「小江戸」とも呼ばれるほど栄え現在に至っている。

 

宇都宮は、二荒山神社が転化した地名と書いた通り、まさに二荒山神社を中心として開けてきた街なのである。この他、江戸時代の森幸安の「下野州河内郡宇都宮地図」には「宇」とは「宇宙」つまり「太廣」の意味で、また「卯」と同じく「東」の意味、「都」は「京」と同訓、「宮」は「宮殿」の意味で、すなわち(当時こそ関東の中心は江戸であったが)古くより「宇都宮は関東の都」とある。

出典Wikipedia

 

ポリネシア語による解釈

栃木県の中央に県庁が所在する宇都宮市があります。中心市街地は、もと『和名抄』の「池辺郷」の地とされますが、二荒山神社が鎮座したことから「宇津宮(うつのみや)」と呼ばれ中世には宇都宮氏の城下町となり、近世には日光・奥州道中の分岐点の宿場町、市場町として栄えた。

 

この「うつのみや」は

(1) 「一宮(いちのみや)」の転

(2) 二荒山神社に観音が現に現れるところから「現(うつ)の宮」と言った

(3) 東北征討の「討つの宮」から

という説がある。

 

この「うつ」は、マオリ語の「ウツ」、UTU(spur of a hill,front part of a house)、「家(奥宮)の前面(にある宮)」 の転訛と解します。

 

宇都宮のギョーザ

宇都宮の餃子の始まりは、補充担任を宇都宮師管区とする陸軍第14師団が、1940年(昭和15年)8月以降、衛戍地を満州としたことから宇都宮出身の将兵が帰国に際し、本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれる。市内には、餃子専門店と餃子を扱う料理店が合わせて約200軒ある。

 

一般的な販売価格は、1人前150-200円程度と低廉で学生がおやつ代わりに食べることが出来る価格帯である。タレは酢だけで食するのが宇都宮スタイルといわれることもあるが、水餃子・揚餃子・焼餃子・スープ餃子など店舗により、さまざまなスタイルの食べ方が存在する。

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