ロンドン・オリンピックが開幕した。
開会式などのセレモニーに興味はないが、競技に関しては「オタク」と言ってもいいワタクシである。その証拠に過去大会の『10ちゃんねる』を読んでみたまえ!
どれもが今読んでも、まったく色褪せていない「力作揃い」であることがわかるはずだw
「オリンピック観戦の醍醐味」は、なんと言っても「世界最高レベルのアスリートたちによる、高度な力と技の応酬」であることは間違いない。だから「メダルの数など問題じゃない」などという声も聞かれるが、これはキレイごとに過ぎぬ。そのような輩は
「世界最高レベルのアスリートが全力を出し切って頑張る姿が大事であり、メダルはあくまで結果に過ぎない」などと、救い難いアホなことを言う。このようなアホウどもには「じゃあ世界最高レベルのアスリートが、全力を出し切って頑張るのはなぜなのか?」と聞きたくなる。
みなが頑張る動機は「自分こそ世界一という結果」を満天下に証明するため以外になにがあるのか?
オリンピックで金メダルを取らずして、どうして「世界一の証明」ができようか?
オリンピックに出場する選手の究極目標は、あくまで金メダルでなくてはならないはずで「メダルの数など問題じゃない」などというのは、そもそも「オリンピックの趣旨を理解できていない」愚か者の戯言(あるいは「引かれ者の小唄」)に過ぎぬ。
もちろん、現実はオリンピック代表と言っても上から下まではかなりの実力差があるから、全員が金メダルを狙っているわけはなかろうが、曲がりなりにもオリンピックに出場するレベルの選手であるからには、誰もが「隙あれば金を狙う」くらいの気概は持って臨んでいるハズだ。日本人の好きな「参加することに意義がある」などはもっての外で、オリンピックという最高の舞台でしか得られない「収穫」を持ち帰ってこその「参加意義」である。
オリンピック代表選手ともなれば、多くの人々と唸るような資金が支えているという現実を思うなら、(自分だけが)「楽しめました」などとバカゲたセリフを吐けるはずがない。 「参加することに意義がある」というのは「よい生き方」に拘るのではなく「物理的な生のみ」を意味なく長らえさせることに執着する、今日の風潮にも通じる。
オリンピックの日程は毎回同じで、前半に柔道、水泳、体操など日本が得意とする競技が続くが、後半は陸上競技などが中心となるため、日本は蚊帳の外で尻すぼみが毎度のパターンだ。その期待の柔道も、男女ともに2日続けて金メダルを逃し、女子に至ってはメダルにすら届いていない。その一方で、競泳と重量挙げ、さらにアーチェリーでメダルを獲得するといううれしい誤算(?)もあるなど、早速波乱の幕開けを予感させるスタートとなった。
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