元中日の捕手・中尾孝義の証言。
「選抜で作新が滝川高校のグラウンドに練習しに来たんです。その時、1回りだけ滝川相手に江川がシートバッティングをしたんです。まあ、凄かったですよ!!
1球目ストレート空振り、2球目ストレート空振り、3球目『わあ、当たる』と頭の上にボールが来たと思ったら、ストンと落ちてカーブです。見逃し三振です。レベルが違います。
うちのエースなんて
『俺達がやってきた野球は、何だったんだ?』
って、真剣に悩んでいましたから。9人中8人が三振、1人がボテボテのゴロです。
あと凄いのは遠投ですよ。ファースト付近で江川がレフトへ80~90m遠投するんですけど、ススススーとボールが落ちないんです。
『なんじゃ、こいつ!?』
と思いましたね。もう本当にレベルが違いました。大学、プロでも対戦しましたが、高校時代のインパクトには度肝を抜かれました。
82年(昭和57年)のオールスターの8連続三振の時、ナゴヤ球場でキャッチャーで受けましたが、高校で初めてバッターボックスから見た球の方が数段上でした。後から、作新のキャッチャーに
『江川はシートバッティングだから、本気で投げていない』
って言われて、更にショックを受けましたね」
江川が史上最高だという元プロ野球選手たちが大勢いる。あのヒネクレモノの三冠男・落合(元中日監督)でさえも、オールスターで対戦して
「来るとわかってて、打てないストレートを放るのは江川だけ」
と現役時代、江川が一番と公言している。
「なぜ、あんな投手が打たれるのかわからない」
とも言っていたが、当時の江川は既にとっくにピークを過ぎていた。
江川が対広島初登板の際、主砲の山本浩二はすぐに投球フォームから、カーブと直球が読めるようになったが、実際に対決すると打てなかった。山本が球種を読んで打てなかったのは、江川だけだった。
ところが、である。
江川が最高だという人たちの大半が
「高校時代の江川の方が、もっと凄かった」
と声を揃えて言うのだ。
ある試合で、江川は捕手に
「次の回から、本気で投げてもいいか?」
と聞いた。そして捕手に投じたボールは、あまりの速さと打者の手元で大きくホップするため捕球できず、キャッチャーミットを弾き飛ばして球審の顔面マスクを直撃するという惨事に。それ以来、江川は全力で投げるのを止めた・・・というマンガのようなエピソードもある。
北陽、小倉南に続いて強豪今治西を20奪三振で一蹴し、3試合25回被安打6無失点49奪三振。甲子園は江川一色の大フィーバーとなり、江川が登板する日は甲子園一帯が数千人のファンで埋め尽くされ、メディアも
「江川をどのチームが破るのか?」
という興味から
「いったい江川は、大会通算いくつの三振を奪って優勝するのか?」
という興味に変わるほどであった。
迎えた準決勝の相手は広島商。広島商の左腕エース佃も、準決勝までの3試合を総てシャットアウトしてきた。そうしたことから、作新学院との準決勝戦は1点で決まると言われた。
広島商には、後に広島で活躍した達川光男などの強力メンバーが居たが、打倒・江川を目指し、ある秘策を練っていた。もしランナーが二、三塁という状況になった場合、打者がわざとスクイズを空振りし、捕手がホームへ突っ込んできた三塁ランナーにタッチしている隙に、三塁を回っていた二塁ランナーがホームへ突入する、という作戦である。
実際にランナーが二、三塁になるとは限らない上、仮に二、三塁という状況になったとしても、そうそう上手くは行かなさそうな作戦ではある。が、当時の江川からヒットを打つことはおろか、バットにボールを当てることすら難しいとの判断から、そのようなヘンテコな作戦を考えざるを得なかった、という事である。
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