2013/09/11

捕手も捕れない剛球(怪物伝説part4)

元中日の捕手・中尾孝義の証言。

 

「選抜で作新が滝川高校のグラウンドに練習しに来たんです。その時、1回りだけ滝川相手に江川がシートバッティングをしたんです。まあ、凄かったですよ!!

1球目ストレート空振り、2球目ストレート空振り、3球目『わあ、当たる』と頭の上にボールが来たと思ったら、ストンと落ちてカーブです。見逃し三振です。レベルが違います。

 

うちのエースなんて

『俺達がやってきた野球は、何だったんだ?』

って、真剣に悩んでいましたから。9人中8人が三振、1人がボテボテのゴロです。

 

あと凄いのは遠投ですよ。ファースト付近で江川がレフトへ8090m遠投するんですけど、ススススーとボールが落ちないんです。

『なんじゃ、こいつ!?

と思いましたね。もう本当にレベルが違いました。大学、プロでも対戦しましたが、高校時代のインパクトには度肝を抜かれました。

 

82年(昭和57年)のオールスターの8連続三振の時、ナゴヤ球場でキャッチャーで受けましたが、高校で初めてバッターボックスから見た球の方が数段上でした。後から、作新のキャッチャーに

『江川はシートバッティングだから、本気で投げていない』

って言われて、更にショックを受けましたね」

 

江川が史上最高だという元プロ野球選手たちが大勢いる。あのヒネクレモノの三冠男・落合(元中日監督)でさえも、オールスターで対戦して

「来るとわかってて、打てないストレートを放るのは江川だけ」

と現役時代、江川が一番と公言している。

 

「なぜ、あんな投手が打たれるのかわからない」

とも言っていたが、当時の江川は既にとっくにピークを過ぎていた。

 

江川が対広島初登板の際、主砲の山本浩二はすぐに投球フォームから、カーブと直球が読めるようになったが、実際に対決すると打てなかった。山本が球種を読んで打てなかったのは、江川だけだった。

 

ところが、である。

江川が最高だという人たちの大半が

「高校時代の江川の方が、もっと凄かった」

と声を揃えて言うのだ。

 

ある試合で、江川は捕手に

「次の回から、本気で投げてもいいか?」

と聞いた。そして捕手に投じたボールは、あまりの速さと打者の手元で大きくホップするため捕球できず、キャッチャーミットを弾き飛ばして球審の顔面マスクを直撃するという惨事に。それ以来、江川は全力で投げるのを止めた・・・というマンガのようなエピソードもある。

 

北陽、小倉南に続いて強豪今治西を20奪三振で一蹴し、3試合25回被安打6無失点49奪三振。甲子園は江川一色の大フィーバーとなり、江川が登板する日は甲子園一帯が数千人のファンで埋め尽くされ、メディアも

 

「江川をどのチームが破るのか?」

 

という興味から

 

「いったい江川は、大会通算いくつの三振を奪って優勝するのか?」

 

という興味に変わるほどであった。

 

迎えた準決勝の相手は広島商。広島商の左腕エース佃も、準決勝までの3試合を総てシャットアウトしてきた。そうしたことから、作新学院との準決勝戦は1点で決まると言われた。

 

広島商には、後に広島で活躍した達川光男などの強力メンバーが居たが、打倒・江川を目指し、ある秘策を練っていた。もしランナーが二、三塁という状況になった場合、打者がわざとスクイズを空振りし、捕手がホームへ突っ込んできた三塁ランナーにタッチしている隙に、三塁を回っていた二塁ランナーがホームへ突入する、という作戦である。

 

実際にランナーが二、三塁になるとは限らない上、仮に二、三塁という状況になったとしても、そうそう上手くは行かなさそうな作戦ではある。が、当時の江川からヒットを打つことはおろか、バットにボールを当てることすら難しいとの判断から、そのようなヘンテコな作戦を考えざるを得なかった、という事である。

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