2013/12/24

淡路島

 記紀の日本列島の国産みの神話では、淡路島は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島中、最初に創造した島であるとされる。『古事記』では「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」と書かれ『日本書紀』では「淡路洲」と書かれる。「阿波への道」が語源と言われることが多いが『古事記』、『日本書紀』で最初にできた国が淡路島とあり矛盾する。

 

」という漢字は「淡海(近江)」、「淡河」、「淡谷」など、自然を表す字と組み合わされることが多い。「路」や「道」は現代で言うところの「地」であったと考えられ、最初に国として完成することができた尊い土地という意味で「淡路(淡道)」と名付けられたものと思われる。古代から平安時代まで「御食国(みけつくに)」として、皇室・朝廷に贄(にえ)を貢いだとされる。

 

『延喜式』によると、淡路国は旬料・節料として「雑魚」を贄として納めることが記載されている。江戸時代には、徳島藩の知行地となった。天明2年(1782年)には、島内最大の百姓一揆(強訴)である「縄騒動」が起こっている。広田宮村の才蔵らが先導、騒動は暴力事件に至らず役人の罷免で収束したが、首謀者は強訴の責任を取らされて処刑された。明治維新期の廃藩置県によって徳島藩は名東県に改組されたが、庚午事変(稲田騒動)が遠因となって1876年(明治9年)821日に名東県が分割されると、淡路島は兵庫県に編入された。以来、近畿地方の一角として発展している。

 

淡路島の由来は「阿波」路島、つまり阿波への路という説と、日本で最初に出来た国という意味という説があります。後者には『古事記』、『日本書紀』で最初にできた国が淡路島とあり「淡」の字は現代で言うところの「貴」や「尊」に近い意味であり「路」や「道」は現代で言うところの「地」であったと考えられ「最初に国として完成することができた尊い土地」という意味で「淡路(淡道)」と名づけられたものと思われる。

 

「昔、むかしイザナギ、イザナミノ命が天からの階段である「天の浮き橋」に立ち「天の沼矛」で海の水をかきまわした。すると、この矛の先から滴り落ちた滴が、たちまち島になった」

 

これが「オノコロ島」で我が国発祥の地と言われ、これが淡路島の由来となっている。  日本国語大辞典によると,「阿波」は「粟のよくできる国の意」であるようです。淡路島については、同じく大辞典に第一に有力の語源として「阿波の国へ渡る途上の島であるから」、第二に有力の語源として「アハヂ(吾恥)の意。神が小国を産んだことを恥とした伝説から」とあるが、後者はどう考えても牽強附会であり、後付けの屁理窟と思われる。また日本歴史地名大系にも「淡路は『淡道』、『粟路』と記されたこともあるが、本来畿内から四国の阿波国への通路を意味している」とある。

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