ソチオリンピック開幕が、いよいよ近づいてきた。
夏季オリンピックに比べ規模が小さく競技数も遥かに少ないせいか、イマイチ地味な冬季オリンピックだが、元々雪に馴染みの薄い日本においても最近はスキー人気の復活やスノボなどウィンタースポーツの流行で、以前よりは注目度は上がっているのではないか。一般的に、あまり馴染みのない競技が多い冬季オリンピックだから、そこにこそ冬季オリンピックならではの面白さがある。
夏季オリンピックにはない「冬季オリンピックならではの醍醐味」とは
普段は滅多に見る機会のない競技が観戦できる
素人には絶対に真似の出来ないようなトンデモな競技が多い
この二点に尽きる。
その代表格が、過去二回に渡ってメダルを獲得した里谷選手の活躍で一躍注目を集めた、フリースタイルスキーの「モーグル」であり、同じくフリースタイルスキーで空中でのアクロバティックな技を競い合う「エアリアル」という競技だ。余談ながら、アルペンスキーの「スーパー大回転」という競技の名を初めて訊いた時は、どんなトンデモナイ競技かと想像してしまった (゚c_,゚`)プッ
また「氷上のF1」と称される「ボブスレー」は、鋼鉄製の橇に(2人または4人が)乗り、氷のコース上を滑り降りるスピードは最高時速100km以上という、物凄いスピードである。同じボブスレーの仲間である「スケルトン」(骨格という意味を持つ)は、滑走部と車台のみというシンプルな骨組みだけの橇で、やはり最高時速は150kmにも達するというから恐ろしい。かつて、TV番組で車体にカメラを付けて滑っているところを写していたが、これが驚異的な速さだった。選手は頭を前にしてうつ伏せで橇に乗り、重心移動だけで操作を行うらしい。
似たような競技に「リュージュ」がある。誰かが言っていたように、棺桶のような橇に仰向けに寝転がって滑っていく様は、確かに死体の搬送のように見えなくもない。そして「スケルトン」にしろ、この「リュージュ」にしろ、素人目には「ただ乗っているだけ」にしか見えない。どこで技術の巧拙を競うのかといえば、重心移動などのバランスを取ったりしているわけで、決して「たまたま、橇が運良く速く滑っていった」わけではないのである(当たり前かw)
リュージュとは、フランス語で「木ぞり」の意味らしい。雪国での重い荷物の運搬や、そり遊びとして用いられていたのがスポーツに発展していったのだそうだが、ブレーキもない橇に乗って150kmものスピードで滑るような芸当は、とても真似の出来るものではないだろう。こうした夏季オリンピックにはない「珍競技」を楽しめるところこそ、冬季オリンピックの醍醐味なのである ( ´艸`)ムププ
これらを見て解かるように、技術の巧拙を別とすれば誰しもがやること自体は可能な競技の多い夏季オリンピックとは違い、やろうにもハナからどうにも手が出ない競技が揃っているのが、冬季オリンピックの観戦の妙味と言える。
さらにユニークなのは、前回話題を浚った「カーリング」という、アイスホッケーに似た競技だ。素人目には掃除に使うモップのようなものを持ち、ストーンと呼ばれる丸い大きな石を投げて得点を争うという、まったく「それがどうした?」というような、ルールがわからずに見るとなんとも滑稽な感じである。が、実際には「氷上のチェス」と称されるほど、奥深い駆け引きを必要とする競技でもあるらしい。そのまんまに「ストーン」と呼ばれるあの石の重さは20kgもあるというのだから、コツを心得ていない素人ではまったく動かないのである。
これら冬季オリンピックの競技に出てくるアスリートたちも、やはり夏季オリンピックの代表選手と同様、子供の時からずば抜けた運動能力経の持ち主揃いであったのに違いない。で、それらの人たちに訊いてみたいのである。
「アナタたちは何故、人気があって金も稼げるサッカーや野球ではなく、選りにも選ってそのような奇特(?)な競技を選んだのか?」と。
それはさておき、冬季オリンピックの楽しみ方の一つとしては、日本選手の活躍が期待される競技がかなり限定されてしまう分だけ、気を揉まずにノンビリと観戦が出来る、という点も挙げられるだろう。それも当然で、日本の国土条件では雪国といえば列島の中でほんの一部に限られ、練習するにも遠路まで足を運ばなければならないのだから、選手も北海道や東北、或いは北陸といった特定の地方に偏ってしまうのである。
このように、雪国でマトモなスポーツが出来ないというのが、実のところ先に触れた「奇特な競技」を選ばざるを得なかった必然的な解にも繋がるのだろうが、そうした意味からも国中で一年中雪が降っていたり、他に娯楽があまりない(?)ような北国に伍してメダル争いをするなどは本来的であれば夢のまた夢、のはずなのだ。ところが、このような地勢的なハンデを背負いながらも、かつてはジャンプやノルディック複合などで複数のメダルを獲得してきたのだから、まことに日本人の能力は大したものである。
挙句に、まともに太刀打ちできないあまりの日本の強さに仰天し、無理矢理にルールを捻じ曲げ続けてなんとか誤魔化して来たのが「白人至上主義」のオリンピックの歴史そのものであった。記憶に新しいところでは、お家芸と言われるフィギュアスケートにおいても、前回に見るように謀略とインチキ塗れのK国に、穢い手で「金」を強奪されたのは実に痛恨の極みだったが、これこそ「それだけ穢い手を使わければ、優秀な日本人には勝てない」何よりの証左であった。
しかしながら、こうした逆境を乗り越えてこそ力を発揮するのが日本人の優れたところである。事実、地勢的にはほぼ同じ条件、というよりは日本よりはよっぽど雪に恵まれてるであろう、隣国C国やK国が活躍したというような話は寡聞にして聞かない。
「そんなことはない、K国はショートトラックが強いではないか!」
などと、のたまう者がいるかもしれないが
「あのような地味な競技は、白人どもが相手にしていないから、やりたい放題」なのだ。
白人どもの拘りは、何と言っても「ウィンタースポーツの王者・スキー」なのである。だからこそ、歴史と伝統を誇るジャンプやノルディックで憎い日本人が頂点に立つのが許せないのであろうことは「ルールを捻じ曲げてでも、断じて勝ちに来る」のを見ても歴然だ。
「ルールを捻じ曲げて勝つなんて、潔くない」
と考える奇特な(誇り高き)お人好しは、世界中を見渡しても日本人くらいのもので、残念なことに
「勝負は結果が全てであって、勝つためには手段を選ばない」
のが世界の常識らしい。だからこそ、たとえそれが一面の真理だったとしても
「インチキなどで勝つのは、一文の価値もない」
との尊い矜持を持つ我々日本人は
「勝負は強い者が必ず勝つとは限らない」
ことを身を持って知り尽くしているのである。
なにしろ、最近までは貧しい「後進国」だったC国、K国辺りは、ウィンタースポーツのような「金の掛かる競技」に弱いのは当たり前で「金も掛からず注目度も低いショートトラック」でお茶を濁すのが関の山なのである。これは、陸上競技や球技など「体ひとつで出来る」競技のみを頼みとしている夏季オリンピックでも証明済みである(もっとも「C国」に至っては「ドーピング」大国だから、それらの多くもインチキの結果に過ぎないが)
さらに夏季オリンピックとは違い、身体能力に優れた黒人選手がほとんど参加してこないのも、黒人頼みがない日本にとっては有利な点である。とはいえ、なにしろ開催国があの国だけに
「果たして、どんなトンデモなインチキが飛び出すか知れたものではない」
という構えで観戦するのが賢明であろう (-ω-#)y-~~~~
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