2020/11/22

クシャーナ朝

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マウリヤ朝は、アショーカ王が死ぬと分裂していきました。次に重要な王朝がクシャーナ朝(1世紀~3世紀)。これはイラン系の民族が支配者で、インドというよりは現在のアフガニスタンに根拠地があるのですが、インドの西北部も支配した、という国です。首都はプルシャプラ。

 

 この国は、やはり仏教との関連で重要。一つはカニシュカ王(位130~170頃)が仏教を保護し、第四回仏典結集をおこなったこと。

 

二つ目として、この王朝でガンダーラ美術と呼ばれる仏教美術が成立した。仏像です。そもそも、インド人には仏像を作る風習はありませんでした。ブッダの生涯を描いた彫刻などがあっても、ブッダの部分だけは空白で表していたんです。これはユダヤ教、キリスト教的な偶像崇拝禁止ということではなく、解脱してこの世界のものではなくなったことを空白で表現したんだ。

 

ところが仏教が、クシャーナ朝でも流行する。クシャーナ朝の本拠地は、中央アジアを含みます。ここにはアレクサンドロス大王の置きみやげ、残されたギリシア人たちの子孫がいた。ギリシア文化は、彫刻大好きですからね。多分、仏教信者になったギリシア系の人々が、ブッダを初めて彫刻に刻んだんでしょう。それが「ガンダーラ美術」と呼ばれるものです。だから仏様の顔も服も、なんだかギリシア風です。

 

 三つ目は、この国で大乗仏教が栄えたこと。この大乗仏教とガンダーラ美術が中央アジアを通って中国、そして朝鮮半島、日本に伝えられることになるわけです。

 

大乗仏教について

 大乗仏教について、ここで簡単に説明しておきましょう。

 インドの宗教は、出家して修行しなければ解脱できません。救われない。しかし、すべての人が日常生活を放棄して出家できるわけではないので、その人たちは修行者にお布施をしたり、徳の高いお坊さんのそばにいられることで満足していた。

 

 さて、そこでブッダが死んだ時の話です。ブッダが死んだ時、修行を積んだ弟子たちは、この世の無常であることを知っているから、じっと悲しみに耐えている。入門したての弟子たちは、そこまで悟っていませんからワーンワーンと泣き叫ぶわけね。

 

 在家の信者たちはどうかというと、かれらはブッダの高い徳を慕っていたわけだから当然、嘆き悲しむ。出家した修行者たちのようにクールになる必要は全然ないので、亡きブッダに対して執着する。簡単に言うと少しでもブッダのそばにいたい、彼の亡骸を守りたいと思った。そこで在家信者たちはブッダの遺骨を埋めて、その上に塔を建てます。この塔を「ストゥーパ」というんですが、ストゥーパにお参りしてはブッダを偲ぶような形で、自分たちの信仰を守りました。

 

 ブッダの信者はインド全域にいたので、信者のグループがいるところにはどんどんストゥーパが建てられた。その地下には、分けてもっらってきたブッダの遺骨の一部を埋葬するんです。このストゥーパは、仏教の広がりとともにアジア各地に広がっていきます。日本にもありますね。例えば、有名な法隆寺の五重塔。あれは、ストゥーパが中国風に形を変えたモノです。だから、あの五重塔の下にもブッダの遺骨の一部が埋葬されている、ことになっている。日本全国あらゆるお寺の塔の下にはある、ことになっている。

 

 世界中の仏塔は、どのくらいあるか分からないほどたくさんある。だからブッダの遺骨はどんどん細かく分けられて、米粒みたいに小さくなっている。このブッダの遺骨のことを仏舎利(ぶっしゃり)というんです。寿司屋さんで米のことをシャリというのは、ここから来ているらしいです。

 

 どこかで読んだんですが、世界中の仏舎利を集めたら数十人分の人骨になるそうです。でも、これが信仰というものでしょうね。少しでもブッダの側にいたい、という気持ちが、それだけ強かったと言うことです。

 

 ブッダを慕う気持ちが強ければ強いだけ、在家信者たちはブッダが死んでしまっていることに耐えられなくなる。そういう在家信者に共感する修行者や仏教理論家たちがいたんでしょう。かれらの中から、大乗仏教が生まれてきます。

 

 というわけで、大乗仏教の特徴はまず大乗なことだね。これは大きな乗り物ということです。在家信者も悟りを得て解脱することができると教えます。出家修行者だけではなく在家の信者も悟りの世界、つまり彼岸に載せていってくれる大きな乗り物。大乗です。これに対して、出家者しか悟ることのできない従来の仏教を大乗側は小さな乗り物、小乗仏教といってけなします。

 

 また大乗仏教は、歴史上の実在したブッダ以外に理念としてのブッダの存在を考えます。ブッダの教えをダルマといいますが、そのダルマそのものがブッダである、と考える。宇宙の法則の中に、永遠のブッダが存在している。そう考えれば寂しくないでしょ。

 

大乗は、歴史上のブッダ自身の教えと違うじゃないかという人が昔もいたし、今もいます。ただ一般的な理解としては、大乗も仏教です。ブッダの教えが理論的に発展していったもの、と考えたらいいと思います。

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