2021/02/07

アブラハム(1)(ヘブライ神話9)

アブラハム(英語 Abraham、ヘブライ語 אַבְרָהָם (ab-raw-hawm') アブラハーム、ギリシア語 Αβραάμ Avraám アブラハム)は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。

 

ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、神の祝福も律法(戒律)も彼から始まる。イスラム教ではイブラーヒーム(アラビア語: ابراهِيم, Ibrāhīm)と呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられている。

 

族長カビル族と呼ばれるヘブル人の先祖たちの一人である。

 

男性の名としてのアブラハム

語源となった『創世記』に出てくる人物アブラハム(אַבְרָהָםAbraham)は、若い頃はアブラムאַבְרָםAbram)と名乗っていて(『創世記』第1117章)、アブラムの意味は日本語にすると「父は高い」というようなニュアンスで、これ自体は生まれの良さを指し、アブラ「ハ」ムの様に「ハ」をつけて伸ばすのは中東のアラム語などで普通に見られる変化であるが、『創世記』の第17章では「多くの国民(たみ)の父」(多く=ハモーン、父=アブ)という意味だとして、彼の子孫繁栄のためにヤハウェ直々に改名されたものだとされている。

 

(アブラムとアブラハムの別の日本語訳の例「アブラム=高められた父」と「アブラハム=おおくのものの高められた父」)。

 

アブラハムの名は、ユダヤ教、キリスト教などを支持する人々の間では世界的に、非常によく男性の名として使われている。イスラエルに住むユダヤ教徒で、その名を持つ人は非常に多い。また、イスラム教社会でも、イブラーヒームの名で男性の名前としては一般的な存在となっている。

 

ヨーロッパで専らカトリックだけが布教されていた時代には、その名はあまり使われていなかった。プロテスタントが生じてからは、カトリックの聖人と同じ名になることを避けて旧約聖書の人名を用いることが多くなり、近世になりアブラハムと名付けられた人はいくらか増加した。

 

アメリカ合衆国においてはユダヤ人の数も多く、また元々人種的にはユダヤ系でありながら現在はプロテスタント系の中でも、特に旧約聖書とイスラエルを重視する教会に所属している人、あるいは人種的にはユダヤ人とは関係ないがプロテスタント教会に属する人などが入り乱れており、結果としてその名をつけている人はかなり多い。第16代大統領リンカーンのファーストネームもアブラハム(Abraham:英語読みではエイブラハム)である。英語における短縮形は「エイブ」。

 

聖書におけるアブラハム

詳細は旧約聖書冒頭の創世記の12章から25章にかけて、大洪水やノアの箱舟の物語とバベルの塔の話の後に描かれている。アブラハムは、伝説と歴史の間に生きている。この項では、元の名のアブラムを基本に、記述を進める。

 

テラの子アブラムは、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウルにおいて、裕福な遊牧民の家に生まれたと学者らによって考えられている。カルデアのウル(w:en:Ur_Kaśdim)はメソポタミア北部と南部の説があり、どちらなのかは確定していない。

 

テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たるロト、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。しかし、途中のハランにテラ一行は住み着いた。

 

アブラムは、父テラの死後、ヤハウェ神(יהוה)から啓示を受け、それに従って妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに、約束の地カナン(パレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。以下は、その時の神の啓示である。

 

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。

あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。

地上の全ての民族は、あなたによって祝福される。

 

旧約聖書『創世記』12:1-3、日本聖書刊行会の新改訳聖書より

アブラム一行がカナンの地に入ると、シェケム(エルサレムの北方約50km)で神がアブラムの前に現れ、

 

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

 

『創世記』12:7、日本聖書刊行会の新改訳聖書より

と預言された。アブラムは、自分のために現れてくださった神のため、最初の祭壇をシェケムに築いた。その後、アブラム一行は更に南下して、ベテルとアイの間(エルサレムの北方約20km)に移り住んだ。そして、ここにも神のための祭壇を築き、神の御名によって祈った。

 

その後、ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってエジプトへ避難した。見目麗しい妻サライが原因で自分が殺害されることを恐れたアブラムは、妻サライに自分の妹とだけ称させることにした(実際、サライは、アブラムの異母妹であった)。そのサライがエジプト王の宮廷に召し抱えられたため、アブラムは一大財産を築いた。神は、アブラムの妻サライがエジプト王の妻とされたことで、エジプト王および王家を災害で痛めつける。エジプト王は、神がアブラム側に立っている事態を理解したので、アブラム一行を彼らの全ての所有物と共にカナンの地へ送り出した。

 

アブラム一行は、ベテルとアイの間の祭壇まで戻り、神の御名によって祈った。アブラム一行は、既に家畜も奴隷も金銀財産も十分持ち過ぎていたので、アブラムがカナン地方(ヨルダン川西岸)を、ロトがヨルダンの低地全体を選び取って住み分け、ロトはのちに東方、ヨルダン川東岸に移動した。なお、ロトがヨルダンの低地を選び、移り住んだ時点では、そこにはまだソドムとゴモラが存在しており、これらの都市は神の怒りによって滅ぼされる直前であった。

 出典 Wikipedia

0 件のコメント:

コメントを投稿