2021/04/20

韓非子(2)

歴史思想

韓非の歴史思想については「五蠹」編に述べられているところに依拠して説明する。

 

古の時代は今とは異なって未開な状態であり、古の聖人の事跡も当時としては素晴らしかったが、今日から見ると大したことはない。したがって、それが今の世の中の政治に、そのまま適用できると考えている者(具体的には儒者を指す)は、本質を見誤っている。時代は必然的に変遷するのであり、それに合わせて政治も変わるのである。

 

ここには、過去から未来へと変化するという直線的な歴史観、さらに古より当今のほうが複雑な社会構成をしているという認識、進歩史的な歴史観を見ることができる。この思想は、荀子の「後王」思想を継承しているもので、古の「先王」の時代と「後王」の時代は異なるものであるから、政治も異なるべきという考えを述べているものを踏襲していると見られる。

 

重農主義

韓非は「五蠹」編において、商工業者を非難している。韓非によれば、農業を保護し商工業者や放浪者は身分的に抑圧すべきである。ところが、韓非の時代においては金で官職が買え、商工業者が金銭によって身分上昇が可能であり、収入も農業より多いので、農民が圧迫されているために国の乱れとなっているという。

 

「勢」の思想

韓非思想にとって「」、「」と並ぶ中心概念が「」である。「勢」の発想自体は、慎子の思想の影響を受けている。ここでは「難勢」編に依拠して説明する。

 

」とは単なる自然の移り変わり、つまり趨勢のことではなく、人為的に形成される権勢のことであるという。韓非は権勢が政治において重要性を持つと主張し、反対論者を批判する。

 

反対論者は

「賢者の『勢』も桀紂のような暴君も『勢』を持っているという点で共通であるから、もし『勢』が政治において重要性を持つのならば、なぜ賢者の時にはよく治まり、桀紂の時にはよく治まらないのか」

と言うが、賢者の「」は自然の意味で権勢ではなく、このような論理は問題にならないという。

 

賢者の治政が優れているのはなるほど道理だが、もし賢愚の区別だけが政治的に意味があるなら、賢人などというのは千代の間に一人いるかいないかであるから、これを待っているだけでは政治がうまくいくとは思われないという。法によって定まった権勢に従えば、政治は賢人の治政ほどではないだろうが、暴君の乱政に備えることはできると説いている。

 

」とは、このような人為的な権勢であり、それは法的に根拠付けられた君主の地位である。これは上下の秩序を生み出す淵源である。もし君主の権勢より臣下の権勢の方が優れていれば、他の臣下は権勢ある臣下を第一に考えるようになり、君主を軽んじるようになって政治の乱れが生じる。したがって韓非の理想とする法秩序において、君主は権勢を手放してはならない。

出典 Wikipedia

 

出典https://www.taikutsu-breaking.com/

人を信ずれば人に制せらる

韓非子といえば、上にある有名な文言に代表されるように、徹底した人間不信の立場に立ち、その上で理想的な法律や統治について説いた書物であり、それゆえに「非情の書」とも呼ばれています。

 

秦の始皇帝は、この書を高く評価して厳しい法律による国家運営を実現し、蜀の軍師諸葛亮孔明は、この書を筆写して劉備の子劉禅に送ろうとしたとも言われています。また、韓非の打ち立てた法家思想は漢、唐、明と時代を下っても国家運営の要として生き続け、現代においても人材管理や企業運営などの場面で、その考えが引用されることも少なくありません。

 

一体なぜ、韓非子は永きにわたって、その影響力を保ち続けてこられたのか。今回は時代背景や儒家思想との比較も含めて、その謎に迫ってみたいと思います。

 

まず初めに、韓非の生きた時代背景について見ていきましょう。韓非が生きていたのは、晋が3つの国家に分裂し多くの国家が覇権を競って争った群雄割拠の戦乱の時代であり、同時に諸子百家と呼ばれる識者たちが活躍した時代でもあります。当時は孔子や孟子を代表とする儒家思想が全盛を極めており、国家運営の面でも盛んに儒教思想が取り入れられていました。

 

儒教思想の功罪

儒教思想と言えば、仁義礼智信を重んじる理想主義的な性善的思想であり、中でも孟子による次の一節が、その本質を良く表しています。

 

人皆有不忍人之心。

(人皆人に忍びざるの心有り。)

人にはみな、生まれ持った善意があるという考えで、これを象徴した「井戸のそばの幼児」という譬え話も有名ですね。

 

「幼児が深い井戸の側を歩いていて、その中に落っこちそうになるのを見れば、誰もが手を伸ばして助けようとする。これは、幼児の親に恩を売ろうとか、他人に褒めてもらいたいとかではなく、純粋に善意から出た行いである。人には無償の善意というものがあるのだ」

 

また、儒教思想は親子の関係についても同様に非常に重視しており、この考え方を政治にも適用して、為政者を父、国民を子に当てはめて、その統治の正当性を強める目的にも利用されてきました。江戸時代の日本も、儒教思想を利用して

幕府の権威の安定化を図っていました。

 

儒教思想の理念は、一見して人に優しく理想的な思想に思えますが、血縁関係の過剰な重視(=汚職の蔓延)や、儒教以外の思想を排斥する専制的な傾向から、時代を経るにつれ現実とのギャップが段々と大きくなっていました。

 

そんな儒教思想に対し、待ったをかけたのが韓非子の師である荀子です。

 

荀子の性悪説

荀子は孟子の唱える性善説を、次のように容赦なく批判しました。

 

孟子は人の性は善だと言うが、わたしに言わせれば、それは間違っている。古今、いずれの世界でも、いわゆる善というのは道理に適い秩序だっている状態、悪というのは偏頗(へんぱ)で筋の通らない乱脈をいう。これが善と悪の区別である。

 

人間の本性は悪である。だからこそ、その昔聖人は、人は性悪ゆえに偏頗であり不正を起こし、乱脈であり無秩序となると危惧し、それに対応するために君主の威勢を打ち立てて政治を行わせ、礼儀を明らかにして教化を行い、法律を作って統治し、刑罰を重くして犯罪を防ぎ、世界中に安寧秩序を齎し、善と合致させたのである。

 

荀子にとっては、人の本性は悪であり、人がルールを守り善行をおこなえるのは、産まれた後に学習を行ったからだと説きます。人の本性は善か悪か。これは古今東西問わず、長い間考え続けられてきたテーマであり、現代においても明確な答えは出ていません。

 

荀子以降、様々な思想家が登場し、このテーマについてあれこれ議論を重ねますが、当然説得力ある結論は出ず、不毛な議論が続きます。

 

そんな中、ついに韓非が登場し、荀子の思想を継承、発展させ国家運営の強力な武器に昇華させたのです。

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