3.前秦崩壊後の国家群
苻堅の没落、及び死去をうけて建国した国々。華北統一以前の国家(前燕や代など)の後継国も多い。
また、これらの国家は、下記の項目4の国家と時代が重複する。
後秦≪384~417≫
羌族の姚萇(姚襄の弟)が建国。姚萇は、前秦の武将として活躍していた。
姚萇は淝水の戦い後に前秦から独立、苻堅を殺害し、前秦の残存勢力と戦った。
子の姚興の代に前秦は完全に滅亡し、西秦、後涼、後仇池を降伏させて勢力を拡大させる。
しかし、河北の北魏には敗北、また東晋の劉裕からも圧力をかけられる。
さらに夏の自立、西秦の再興、従属国だった南燕が東晋に滅ぼされ、国力は低下する。
姚興の死去後、武将姚紹の活躍があったものの、東晋によって後秦は滅んだ。
西秦≪385~431≫
鮮卑乞伏部の乞伏国仁が建国。
苻堅の死をうけて前秦の従属国として建国したが、国仁の弟乾帰の代に苻堅の後継苻登が姚興に殺害されたのを機に完全に自立、乾帰は苻登の後継苻崇を殺害し、前秦を完全に滅ぼした。
しかし後秦に敗北した乾帰は、後秦に亡命。後秦軍として活躍する。のちに後秦が衰退すると、西秦を再興。
乾帰の死後、西秦は南涼を滅ぼし北魏と協力し夏に対抗するものの、北魏に敗北して逃れてきた夏の赫連定によって滅ぼされてしまう。
後燕≪384~409≫
前燕の慕容儁の弟、慕容垂が建国。前燕の将軍だった頃、慕容垂は有能すぎたため叔父の慕容評に排除されそうになり、前秦に亡命した。前秦軍として、前燕を滅ぼした。
淝水の戦いで敗北した苻堅を保護し、撤退を手助けする。
苻堅の後継苻丕と対立し後燕を建てて自立、苻堅の死をうけて皇帝を自称した。
翟魏、西燕を破ったが北魏に敗北。慕容垂は病死した。
その後、南燕が自立、北魏に敗北を続け、国力が低下したところを漢人将軍馮跋(北燕の実質的建国者)によって乗っ取られ、後燕は滅亡する。
西燕≪384~394≫
前燕の慕容儁の二男、慕容泓が建国。慕容垂の叛乱を機に、鮮卑族をまとめて自立。
だが、歴代君主たちは次々に暗殺され続け、国力は疲弊。
後燕に従属して苻丕を破ったが、後燕と後継争いが起き後燕に敗北した。
後涼≪389~403≫
氐族の呂光が建国。前秦軍として、西域遠征で活躍していた。
前秦の崩壊を知った呂光は涼州で自立。前涼の後継張大豫を破り、前涼の元領土を獲得。
西秦を一時的に服属させたが反撃を受け、それに伴い南涼と北涼が自立してしまう。
呂光の死後、南涼と北涼と争っているところを後秦に叩かれ、後秦に服属した。
後仇池≪385~443≫
氐族の楊定が建国。楊定は淝水の戦い後も前秦に臣従していたが、苻堅の死をうけて自立した。
楊定の死後も西秦や後秦と戦い、東晋及び東晋を滅ぼした劉裕の南朝宋に服属した。
北魏≪386~534≫
代の拓跋什翼犍の孫、拓跋珪が建国。
苻堅死去後、匈奴独孤部の協力を得て自立。
後燕と同盟し匈奴鉄弗部(夏の前身)を破り、華北で勢力を拡大する。
4.新勢力の進出~北魏による華北統一
項目3の国家から派生した国々。
夏≪407~431≫
匈奴鉄弗部の赫連勃勃が、後秦から自立して建国。
北燕と同盟して北魏に対抗、後秦を滅ぼした東晋を撃退し、吐谷渾と北涼を服属させて勢力を拡大した。
しかし、赫連勃勃の死去後は衰退し北魏にことごとく破れ西走、西秦を滅ぼすが吐谷渾が叛乱し、君主たちは北魏に殺された。
南燕≪400~410≫
慕容垂の死去後、弟の慕容徳が後燕から自立して建国。
北魏の侵攻により、慕容垂の後継慕容宝は北方に逃走し、後燕は南北に分裂。
南方にいた慕容徳は、燕王を自称して南燕を建国した。
後継の慕容超は後秦に従属して東晋を攻撃したが、劉裕に敗北し滅亡した。
北燕≪409~436≫
漢人の馮跋が後燕末帝慕容熙を殺害し、慕容宝の養子慕容雲を擁立して建国。これにより、後燕は滅んだ。
南朝宋に従属して、北魏に対抗したが敵わず滅亡した。
南涼≪397~414≫
鮮卑禿髪部の禿髪烏孤が、後涼から自立して建国。
北涼と争っているところを、後秦から自立再興した西秦に攻められ滅亡する。
北涼≪397~439≫
盧水胡の沮渠蒙遜が漢人の段業を擁立し、後涼から自立して建国。
後涼を滅亡させた後秦に従属して、南涼や西涼に対抗した。
北涼は西涼を滅ぼし、西秦は南涼を滅ぼしたため、北涼と西秦は対立した。
北涼は夏と同盟し、西秦は北魏と同盟した。
しかし西秦と夏が滅亡したため、北涼は強大化した北魏に圧迫され、婚姻関係を結んで友好に務めたが
華北統一を目指す北魏の前に降伏した。
西涼≪400~421≫
漢族の李暠が、北涼から自立して建国。
南涼と連携して北涼に対抗したが、北涼によって滅ぼされる。
北魏による華北統一
勢力を拡大した北魏は、同盟していた後燕から警戒されるようになり、後燕と対立していた西燕と同盟して、完全に敵対した。
参合陂の戦いで後燕軍を破り、後秦とも敵対し柴壁の戦いで後秦軍を破ったことで、後燕と後秦の国力は低下した。
後燕は、慕容垂の死去、南燕分裂などで衰退、さらに北燕に取って代わられてしまう。
一方、華南では東晋の劉裕が強大化し、南燕と後秦を滅ぼした。
北魏は西秦と同盟して、後秦滅亡後に勢力を拡大していた夏に対抗した。
西秦は夏に敗れてしまうが、同年のうちに夏を滅ぼすことに成功する。
そして北魏は残存国家の北燕、北涼、後仇池を滅ぼして華北を統一した。
これ以降、北魏と東晋に取って代わった劉裕の南朝宋による、南北朝時代に突入する。
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