影響・伝播
中国・日本
ナーガールジュナの思想の流れは、中国にも伝えられた。それはクマーラジーヴァの翻訳による中論と十二門論および、アーリヤデーヴァの百論に基づく宗派として成立し、三論宗と呼ばれる。三論宗の大成者は吉蔵(549-623年)である。中国では、大智度論をも教理に加えた四論宗も成立したが、後に三論宗に融合した。
日本には、吉蔵の弟子であった慧灌が625年に来日して、三論宗を伝えた。三論宗は、平安時代の末には密教と融合して衰えた。
中村元は、中論や大智度論などに基づいて空・仮・中の三諦円融や一心三観を説く天台宗も、ナーガールジュナの思想に基づくとしている。また、ナーガールジュナの十住毘婆沙論の浄土教関係の部分は、後世の浄土教の重要な支えとなり、密教もまたナーガールジュナの思想の延長上に位置づけることができるという。
チベット
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チベット仏教と中観派のつながりは、思想面に限らず様々な面でとても深い。というのも、地理的・歴史的条件ゆえに、チベットの王が国家規模で仏教指導を請う先は、ナーランダー大僧院やヴィクラマシーラ大僧院等にならざるを得ず、そこから派遣され、チベット仏教を形作っていったインド僧は、この中観派に属する者(中観思想を信奉する者)が多かったからである。
まず、吐蕃のティソン・デツェン王に招請されたナーランダー大僧院のシャーンタラクシタ(寂護)は、チベット初の仏教僧院サムイェー寺を建立し、密教僧パドマサンバヴァと共に、チベット仏教の始祖となった。更に、その弟子であるカマラシーラ(蓮華戒)は、中国禅僧である摩訶衍との論争に勝利し、チベット仏教の方向性を決定づけた(サムイェー寺の宗論)。
その後、吐蕃の滅亡に伴い、チベット仏教界は打撃を受けるが、グゲ王国の保護によって復興が始まる。その際、グゲの王がヴィクラマシーラ大僧院から招請したのが、アティーシャであった。彼は中観思想と無上瑜伽タントラを信奉する顕密統合志向の僧であったが、これが現在のチベット仏教の雛形となった。これは後に、最大宗派ゲルク派の祖となるツォンカパによって、確固たるものになる。
ツォンカパは、ブッダパーリタ(仏護)の『中論註』によって、帰謬派(プラーサンギカ派)的な中論理解に確信を抱き、アティーシャの『菩提道灯論』を参考にしつつ、『秘密集会タントラ』を中心とする密教との顕密統合の手がかりとした。
このように、チベット仏教と中観派は思想的にも人的にも、とてもつながりが深い。そして、総合仏教たるチベット仏教の密教面の柱が無上瑜伽タントラだとするならば、顕教面の柱は、この中観派の著作・思想と言っても過言ではない。
近現代の解釈・評価
神秘主義・否定神学
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ナーガールジュナや中観派(帰謬派)は、相手の主張に対する帰謬的否定に頼ったその態度や「八不」(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)に象徴されるような、直感的に分かりづらく、一見矛盾・支離滅裂とすら感じられるような側面に焦点を当てれば、神秘主義・否定神学との近似性が見出される。
仏教学者の中村元は、「縁起」「空」を中心とした中観派の思想を、欧州や中国など、同時代の他地域の思想と比較し、神秘主義の1つである新プラトン主義(ネオプラトニズム)、とりわけ偽ディオニュシウス・アレオパギタらの「否定神学」(神秘神学)を、比較的近しいものとして挙げている。絶対者は否定的にのみ把捉されうるという発想は、インドにおいてはリグ・ヴェーダ、ウパニシャッド哲学(つまりは、ヤージュニャヴァルキヤらの「真我(アートマン)」思想)以来の流れがあり、(釈迦による「無我」「縁起」への深化、および般若経と龍樹によるそれらの継承・焦点化・拡張を経て)この中観派において、それが(徹底した否定(肯定的論証における帰謬/背理の暴き出し)・相対化・関係化として)極致に至りつつ、ついにインド思想(ひいては東洋思想)の主流の一角を占めるまでになるが、それに対して西洋においてはアリストテレス的(『形而上学』的)実体論(を背景とした『オルガノン』的肯定論証)から抜け出せず、こういった発想はせいぜい神秘主義の中で細々と継承される傍流に過ぎなかったという。
(とはいえ、西洋においても、生成変化する諸現象の背後に変化しない絶対者を想定し、感覚認識を虚偽のものとして否定するエレア派の存在論、「万物流転」を説くヘラクレイトス、抽象概念を論理的に突き詰めると背理に陥ることを明かしたソクラテスの帰謬法(背理法)など、仏教あるいはその前段階の思想と、ある程度の近似性を見せる水準の発想は、古代ギリシャのわりと早い時期に成立・普及していたこともまた、ちゃんと踏まえておく必要がある。)
なお、この「空」は中国の道教における無(虚無)と混同されやすいが、異なるものであることも指摘している。(「有」や「無」といった見解(常見・断見)も、『中論』において明確に否定されている。「空」(शून्यता, Śūnyatā, シューニャター)というのは、「nihil, nothing」(無、虚無) ではなく、「empty」(空っぽ) ということであり、森羅万象が、それ自体として自立的な実体を持っているわけではないということを表している。)
また「空」を基底とした発想は、単なるニヒリズム(虚無主義)であると誤解され批判を受けやすいが、しかし一方で、こうした排斥も対立も無い真の基底の獲得は、生きとし生けるものへの肯定・慈悲へとつながり、実践を基礎づける効果をもたらす。これは神概念が包括性・完全性を担保し、基底となることで、他者への慈悲・愛へとつなげるキリスト教と(その深度こそ違え)構成的には類似しているという。
言語哲学
中村元は、大乗仏教、ことにナーガールジュナは、もろもろの事象が相互依存において成立しているという理論によって〈空〉の観念を理論的に基礎づけたとし、この実体を否定する〈空〉の思想に対して、西洋では全面的な実体否定論はなかなか現れなかった、少なくとも一般化はしなかったと述べている。中村によれば、それはアリストテレスの〈実体〉の観念に長年月にわたって支配されていたためであるという。中村は、この点でバートランド・ラッセルの〈実体〉批判は注目すべきものであるとし、アリストテレスの〈実体〉の観念に対するラッセルの批判は、ナーガールジュナやアーリヤデーヴァの実体批判にちょうど対応するものであると述べている。
出典 Wikipedia
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