2025/05/15

西方イスラーム哲学

歴史的に見れば、西方イスラーム哲学が発展したのはアッバース朝が衰退・滅亡した後の12世紀-13世紀のことである。この時期は、アヴィセンナやガザーリーも既にこの世の人ではなく、ちょうど時期的にも東方イスラームからバトンタッチされた形で西方イスラーム哲学は興隆した。無論、この時期以前にも西方イスラーム世界にも哲学者は存在したが、東方イスラームを伝授したという功績に過ぎなかったと見なされている。

 

西方イスラームでは、知性のあり方、個人と社会の関係や哲学と宗教の関係などにも重点がおかれ、世界の創造や霊魂論に重点を置いた東方イスラーム世界とは一味違った特徴の哲学が展開された。

 

この時期には、アフリカ出身イスラムのムラービト朝、次いでムワッヒド朝が興り、イスラームの勢力は北アフリカを経て、イベリア半島にまで達していた。ムラービト朝は、当初はイスラームの最初の姿を取り戻そうとした保守的な王朝であったが、次第にそれも薄れ思想的には完全に腐敗しきっていた王朝になってしまった。人々はクルアーンをただ暗誦するだけであり、クルアーンに書かれている内容への問いかけや研究は断じてタブーとされた。

 

イスラムにおいて神聖とされていたハディースですら、ゴミ同然に取り扱っていたという。この思想史的にも腐敗しきった王朝は、当時の神学者ガザーリーにも痛烈に批判された。この王朝を打倒し、文化的な復興を掲げた新王朝が誕生した。これが、ムワッヒド朝である。

 

西方イスラームが盛んになったのは、このムワッヒド朝下であったが、彼らも元々思想史的背景に乏しかったので、時のカリフ、アブー・ヤアクーブが哲学・神学双方の発展を王朝の政策の一環として掲げ、発展したという経緯を持つ。従って、西方イスラームの哲学は、アヴィセンナをはじめとした東方イスラームとの連携は薄く、西方イスラームは概ね独自の思想展開をした哲学といってよい。

 

また、ガザーリーによる哲学批判が行われ、哲学が大きな変節点を迎えた東方イスラーム世界とは違い、イベリア半島を中心とした西方イスラーム哲学は、また独自の視点からギリシア哲学を受け入れていた。後述するが、彼らの哲学はその後のイスラム思想の展開では影響を与えず、むしろその成果は中世ヨーロッパの思想の発展に影響を与えた。(ラテン・アヴェロイスト達。これは後述)これは思想展開もさることながら、地理的な位置も多分に影響していると言える。

 

イブン・バーッジャ

西方イスラーム哲学は、イブン・バーッジャ(?-1138年)に始まる。ヨーロッパではラテン語化されたアヴェンパーケという名で知られている。彼は、王朝の宰相を務めていた政治家でもあった。彼は行政に関することでもあるが、仕事のために様々な知識を持ち合わせていた。このような政治家としてのプロフィールも反映して、彼はガザーリーのような神秘主義的な傾向を嫌った。

 

彼は、神秘家が求めるような感性的な能力ではなく、理性的な能力(知性)でこそハック(真理)が捉えられると考えていた。イブン・バーッジャによると、宇宙を構成するものの最下位の存在は感覚的なもので占められており、この存在に知性は存在しない。知性としての人間の存在は、これより高度なものである。そしてより高度なものは、感性的な要素がなくなり純粋に知性的な存在になるという。

 

人間の知性の場合、感覚的なものはなくなるが、さらに上位に能動的な知性があり、人間の知性が最高位ではないという。最上位の存在、つまり人間よりもさらに上位であるが、これは最高に純粋な能動的な知性を持ち合わせた存在であり、この存在は、完全に幸福な存在であるという。この完全な知性との合一こそ、哲学が求めるものに他ならないのであり、この知性として存在(真理あるいは神)一になる時、最高の幸福が訪れるという。

 

このような、人間を含めたあらゆる存在者の中で、永遠的な能動的知性を最高の能力におき、人類の知性(これは個々の存在に還元されるものではなく、知性は人類全体に一なるものとして存在すると考えていた)は、この能動的知性の流出に他ならないという考え方は、「知性唯一説」という形で、後の中世スコラ哲学で大論争となった。これは後に述べるアヴェロエスの考えが基になっているが、起源はイブン・バーッジャといわれている。このよう知性的な神秘主義は感覚的なものを排した傾向が認められ、ガザーリーのようなスーフィズムとは明らかに異質なものであった。

 

また前述のように、この哲学者は政治家としての顔も持っており、俗世の仕事で一杯であり、彼の希望でもあった哲学の仕事に打ち込むことがなかなかできなかった。それも反映して彼は、もっとも理性的な存在としての人間は、俗世から離れて一人孤独な道を歩まねばならないと考えていた。彼の代表作も「孤独者の嚮導」というタイトルである。この俗世(社会)と個人の関係は、次に現れるイブン・トファイルによって明確に意識されている。

 

イブン・トファイル

イブン・トファイルは、イブン・バーッジャの門下生であったと言われている。やや彼の経歴に不明瞭なところがあるが、グラナダ近郊の生まれといわれている。彼は、ムワッヒド朝の侍医としても、腕を振るっていた。彼の哲学思想は、代表作である『ヤクザーンの子ハイイ』に集約されている。これは哲学的な物語作品であり、いわゆる哲学書とは一線を画すものである。ヤクザーンとは、目覚めている者を意味し、すなわち神のことである。ハイイとは、生きている者を意味し、すなわち理性のことである。つまり、このタイトルの書によって哲学界全体を表現しようとする試みなのである。

 

内容の詳細は省略するが、トファイルはこの著作によって、大多数の人間が真理を知らずに暮らしていること、また知ろうとしないで暮らしているということを指摘している。人々は信仰によって救われようとするが、これでは現世的で低級な部分にしか留まることができず真理に到達することはできない。真理を知るという行為は、哲学でしかすることができない。宗教ではこれを象徴的に暗示的に示すことかできず、単なる一手段に過ぎないという。

 

この様に哲学を宗教の上に明確においたトファイルの思想は、当時の宗教家からは反感を買い哲学に対して注意の目を持って見られてしまった。イブン・トファイル自身は、哲学と神学を熱愛していた時のカリフ、アブー・ヤアクーブの寵愛を受けながら、穏健に生涯を送ることができ、1185年に高齢で没した。

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