「オマエら、ナガシマなんて知らんだろーが!」
といった時の、あの教諭の得意気な表情は今でも忘れられない。
「野球を見始めた時が長嶋監督だったからね・・・現役時代は知らないよ」
「そうだろうそうだろう・・・可哀相になー。「あのナガシマ」を知らんとはなー。ナガシマを知らんのに、それでも巨人ファンか・・・」
と優越感に溢れた眼差しで、小馬鹿にしたように呟いた。
(いかん・・・こんな調子で話に乗っていては、コイツのペースになってしまうじゃないか・・・)
とは思いつつも、Rの発する「あのナガシマ」という独特の異様な思い入れの入った甘美な響きと、口角泡を飛ばして興奮しながらも恍惚とした表情のRの異様な迫力が迫ってくる。それに魅入られたように、つい余計な言葉で応えてしまった。
「でも王は晩年だけど、子供の頃に少しだけ見た記憶があるよ・・・だから以前は、王は好きだったな・・・」
すると、R教諭は少しばかりは見直したように
「ほぉ・・・王は知ってたのか・・・といってもオマエラじゃあ、精々晩年だよな。オレなんかは王は勿論、ナガシマもバリバリの頃だからなー。それになんと言ってもだ、王よりはナガシマだよ、ナガシマ。巨人は、やっぱりナガシマなんだな」
そしてこのR教諭は、改めて肝心の説得は難しいと見るや
「可哀相になー、ナガシマを知らんとはなー。それで巨人ファンとは、オレには納得がいかんな・・・オレたちの頃はみんな、巨人ファンというよりはナガシマのいるチームだから、巨人ファンだったからな・・・」
と、なおもブツクサ言い続けていた。
「またいつか、話の続きをやろうやー」
と言って、R教諭は去って行った・・・
今考えてみれば、これも中年教諭の狡猾な作戦だったのかもしれない。が、この時はこの不良学生を説得に来た中年教諭が、自らの役割をすっかり忘れて、かつての夢を語るが如しといった調子で、禿上がった額の下の小さな目をこれまで見た事のなかったような、夢見る少年の眼差しように、キラキラと輝かせていたのだけは、確かに真実だった・・・
その後、数年が経過して社会人となると、当然の事ながら学生時代とは違い、様々な年齢層の人々と付き合う事になる。かつてのR教諭と同世代や、更に上の年齢層の相手との野球談義になると、普段は鹿爪らしい顔をしたオヤジ世代が、この時ばかりは少年のように目を輝かせては、それこそ判で捺したように
「我々の時代は、なんと言ってもナガシマ、ナガシマだよー」
あの記憶にあるR教諭と同様の、実に憎らしいほどの得意げな表情と
「君らは、ナガシマを知らないのかー。そりゃ気の毒に・・・」
と、さもそれが天下の一大事ででもあるかのように、哀れむような視線を送ってくるのが、殆んど例外のないリアクションである事に気づいた。
こうした経験を繰り返すうち、否が応にもR教諭の言っていたオーバーとも思えるナガシマ礼賛は、決して知らないものを見下して優越感に浸ろうなどという下司な料簡などではなく、彼ら世代のコモンセンスであったのだと繰り返し思い知らされた。その都度、彼ら旧世代に対する羨望が、沸沸と湧き上がってくる事になるのであった。
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