2011/03/07

なんば(難波)

上町台地北側の大阪城から海に向かって西方向一帯を昔は「難波」と呼んでいました。普通は「なんば」と読んでしまうのに、なぜ「なにわ」と呼ばれるようになったのかでしょう。

 

古代大阪平野は 淀川や旧大和川からの大量の土砂を運んできて、大きな扇状地として形成されました。海岸に近い平地部では多くの分流ができ、潮が引くと無数の水路ができて「澪標(みおつくし=難波江の浅瀬に立てられた標識)がなければ 水上交通は成り立たなかった。そのような地形であった所から「難儀で広い扇状地」を見て難波(なにわ)と呼ばれるようになり、いつしか「浪速」と呼ばれるようになりました。また「澪標」は、水の都・大阪市のシンボルマークになっています。

 

 「難波」で、もう一つ疑問が湧いてきました。現在、大阪南の街くいだおれの街として「難波駅」周辺を総称して「なんば」と呼ばれていますが、これは昔「魚が多く捕れて食料品が豊富にある広い場所」であったことからではないか、と言われてます。難波神社の宮司さんの話によると、昔は現在の難波神社あたりを「北なにわ村」、難波駅周辺を「南なにわ村」と呼んでいたそうですが、現在は「なんば」と読むのが一般的だということです」

 

「鴨南蛮」って、もともと大阪ではミナミの地名の難波に由来する「鴨なんば」って言われていたって御存知でしたか?

なんでもその昔、難波の周辺は広大な葱畑だったそうでありまして、鴨と相性の良い葱が入ってる饂飩(または蕎麦)ってことで「鴨なんば」って呼ばれるようになったそうな。もちろん肉を食べる=南蛮人という発想や、ポルトガル人が日本に玉葱が無いので長葱ばっかり食べていて「葱」=「南蛮」って言うようになったなんていう背景も、同時にあったようではあります。

 

難波なんば」→「南蛮」というのが、大阪での名前の変遷なのだそうでございます。ちなみに蕎麦屋さん業界では、御飯のことを「しま」って言うのだそうでありますが、これも昔、大阪の堂島辺りに米問屋が多く米の市が立ったから、なのだそうな。

 

難波(浪速)、名古屋の地名の「」音は「ぬゎ=nwa、並ぶ」音で、何かが並んでいる地形の特徴から地名に取り入れられています。まず、難波の地名の由来を遡ってみましょう。

 

難波は、難波の文字が伝える「な-に-は」が古い音です。他に「浪速」の文字も使用されていて、この訓読みから浪速は「なみはや=波が速い」が語源であると主張する学者もいますが、この根拠は日本書紀の「故事つけ」から来ています。この付近の海の潮の流れ(波ではありません)は、明石・鳴門両海峡や紀伊水道の方が速く、この地を「波の速いところ」と言いきる決め手はありません。かえって、この付近は「茅怒(の海)」〔ち-ぬぅ=ti-nwu=方向が固定される、どちらから進入しても同じ所に行き着く、どちらから行っても行き先は同じ〕と言われるほど、瀬戸内海では最も奥の行き止まりの所なのです。

 

西の明石・鳴門両海峡、あるいは南の紀伊水道を通り過ぎると、後はそのまま進めば茅怒の海に辿りつけます。それでは、難波の個々の音について分析してみましょう。

 

最初の「な」音は、〔ぬゎ=nwa、「並ぶ」〕音としてよいでしょう。「に」音は〔に=ni=確かでない〕、〔にぃ=nyi=柔らかくない、硬い〕、〔ぬぃ=nwi=広くない、狭い〕の3通りがありますが、地名に使用される音としては〔ぬぃ=nwi=広くない、狭い〕が適当でしょう。

 

最後の「は」音には、〔は=ha=中央に〕、〔ふぁ=fa=対になって、接するように〕、〔ふゎ=hwa=膨らむ、盛り上げる〕の3通りがあり、何れも地名に使用される頻度の高い音です。これらの音を組合せた「間隔狭く対になって並ぶ」、「間隔狭く接するように並ぶ」、「間隔狭く盛り上がるように並ぶ」が、地名らしい意味を持っているものと思われます。特徴のある「間隔狭く並ぶ」ものを見つけることが、この地の語源を探る決め手になりそうです。

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