素材の新鮮さが特に尊重される。
一般的に米を始めとする穀物、野菜、豆類、果物、魚介類や海藻といった海産物、鳥類の肉などが使われ、乳製品は殆ど用いられない。特に海産物と大豆加工食品の利用の多彩さが特徴で、総じて低脂肪、高塩分であるとされる。
このような特徴はコリア料理や東南アジアの食文化とも共通するが、それらの料理と比較して獣肉と油脂の利用が発達しておらず、風味の強い香辛料の使用が少ないという違いがある。新鮮な食材や良質な水に恵まれているため、素材の味を最大限に活かした味付けが尊重される。
調味の基調は塩、うま味を豊富に含んだ出汁(鰹節や昆布などを煮出して作られる)、大豆を麹で発酵させた醤油、味噌である。日本酒や米酢などの米発酵調味料も多用される。甘みには水飴・みりんが使われるが、現代では砂糖を使うことが多い。ナタネ油、ゴマ油などの植物油を少量使い、ラードなどの動物性油脂は殆ど使用されない。食材を水にさらしたり茹でたり煮たりすることが多いため、水そのものの味も重視される。
うま味
うま味(旨み、旨味、うまみ)は、主にアミノ酸であるグルタミン酸、アスパラギン酸や、核酸構成物質のヌクレオチドであるイノシン酸、グアニル酸、キサンチル酸など、その他の有機酸であるコハク酸や、その塩類などによって生じる味の名前で5基本味の1つ。うま味物質は、東京帝国大学(現在の東京大学)教授だった池田菊苗によって、1908年にだし昆布の中から発見された。最初に発見されたうま味物質は、グルタミン酸であった。
「うま味」となるだし昆布や鰹節を使用した出汁は、日本料理において基本となる伝統的調理手順のひとつである。そのため、日本の学者は「ダシがきいていない」という味覚は塩味や酸味が足りないのとは違う感覚であることを経験的に知っており、うま味の存在に早くから気づいていた。
1913年に、小玉新太郎が鰹節から抽出したイノシン酸も、うま味成分であることを確認した。1957年には、国中明がシイタケ中から抽出したグアニル酸が新たなうま味成分であることを発見した。
一方で、西洋文化圏では、フランス料理におけるフォン・ブイヨン・コンソメのように、だしによってうま味を増す料理法が存在するものの、後述の通り欧州の水は硬くて出汁を取りにくく、多くの料理ではトマト(グルタミン酸を豊富に含む)、チーズのような酸味などが強い食材によってうま味を補給したり、何より肉料理では肉の煮汁自体がうま味の供給源となったため、うま味を増すことに多くの意識は向けられなかった。そのため、日本の学者の主張するうま味の存在は、多くの欧米の学者には懐疑的に受け止められ、うま味なるものは塩味・甘味などがほどよく調和した味覚に過ぎないと考えられていた。
しかし、2000年に舌の味蕾にある感覚細胞にグルタミン酸受容体(英:mGluR4)が発見されたことによって、うま味の実在が世界的で広く認知されるに至った。
うま味成分
うま味物質は蛋白質や核酸に富んだ細胞の原形質成分に多く含まれ、主として蛋白質の豊富な食物を探知することに適応して発達した味覚であると考えられる。
代表的なうま味成分のうち、アミノ酸の一種であるグルタミン酸は植物に、核酸の一種であるイノシン酸は動物に多く含まれることが多い。イノシン酸など、うま味を感じさせるヌクレオチドは、呈味性ヌクレオチドという。
また、アミノ酸系のうま味成分と核酸系のうま味成分が食品中に混在すると、うま味が増す。これを「うま味の相乗効果」と呼ぶ。実際に日本料理では昆布だしと鰹だしやシイタケのだしを合わせるといった調理が行われ、中華料理でも長ねぎと鶏がらスープを合わせるといった調理が行われている。
現在、これらの天然から取れるうま味成分は、主として発酵工業の手法で人工的に製造され、うま味調味料として使われている。うまみ調味料の製造でも、主成分のl-グルタミン酸ナトリウムの他に、グアニル酸とイノシン酸を添加して、うま味の相乗効果を出している例が多い。
その他にも、食用のハエトリシメジに含まれるトリコロミン酸、毒キノコのテングタケに含まれるイボテン酸、貝類に含まれるコハク酸やコハク酸ナトリウムにも強いうま味がある。またレモンに含まれるクエン酸やリンゴに含まれるリンゴ酸などの果実酸類には、食品のうま味を高める作用がある。
硬水では、昆布のグルタミン酸や鰹節のイノシン酸のようなうま味成分の抽出を阻害するので、軟水の使用が望ましい。
うま味成分の味
グルタミン酸:昆布、チーズ、醤油、味噌、野菜類
イノシン酸:肉、魚介類
グアニル酸:きのこ類
名称
「うま味」の命名は、その成分物質がグルタミン酸であることを発見した池田菊苗による。池田は、それまでに知られていた酸味(さんみ)・甘味(かんみ)・塩味(えんみ)・苦味(にがみ)の四基本味に加わるべき第五の基本味としてこれを「うま味(うまみ)」と名付けた。なお、発表当時からこの表記である。
日本国外、特にその存在の認知が遅れた欧米諸国の言語では、従来この「うま味」に相当する表現が存在しなかったため、現在のところ日本語を借用した「umami」を便宜上代用している場合が多い。ただし、英語の「savory」(肉料理の風味がある)や「brothy」(肉の煮汁の風味がある)、中国語の「鮮味」、そしてこれらに相当する各国語の表現を使用する試みも見られている。
東南アジアにおいても、うま味を含有する調味料である魚醤が使用されてきた。タイ料理においてナンプラー(魚醤)が有名であり、ベトナムではチャイナの影響を受けた地域で炒めものが主であることに対し、ベトナム南部の地域ではうま味としてニョクマム(魚醤)が使用されている。魚介類を塩漬け加工した調味料魚醤は、タイ、ベトナム南部、カンボジア等で伝統的に使用されている調味料である。
またチャイナでも、福建省など一部の沿岸地域において魚醤が使用されていたなど、東南アジアを中心とした海洋沿岸地域では、うま味として利用されてきた伝統的な調味料が残る。
古来より米価が物価の基準として用いられ、米本位制社会とも呼ばれたように、日本では主食・通貨として米が重視され「ご飯」という言葉は食事という意味と同時に、米そのものも指す。
「瑞穂国」が日本の美称としても使われ、稲荷神社が日本各地に存在し、秋の収穫祭の中心は米であり、天皇家においても新嘗祭は重要な行事である。多くの日本料理が米(および日本酒)に対する副食としてデザインされており、炊飯米と合わせて食べた時にちょうど良くなるように、塩味が調整される傾向にある。
お米はいつから作られた?
最近の研究では、2500年ぐらい前から日本で稲が作られるようになったのではないか、ということがわかってきている。初め九州に伝わった米作りは、あっというまに青森県の北の外れまで広がって行ったらしい。さらに考古学が進歩すれば、もっと前から作られていた可能性も出てくるかもしれない。
そして昔の人は、米を「神様からの授かり物」と考えていた。神様の話がたくさん出てくる「神話」、遠い昔からの古い言い伝えに、お米は一体どこから来たのかについての話がある。その神話では
「ずっと遠い昔、天の上には神様の世界があり、そこに住む神様の子どもがこの国へ降(くだ)ってきた」
と伝えられている。
その子どもの名前は、ホノニニギノミコト。「ホ」というのは稲穂の「穂」、「ニニギ」と言うのは「賑やか」、つまり「稲穂がたくさん実る神」ということである。そのニニギノミコトのお婆さんにあたる神は、天照大神という太陽の神様である。
天照大神は、ニニギノミコトが地上に降るとき稲穂を与え「これで、みんなのお米を作りなさい」と教えた。そうして「お米というものは、天照大神から頂いたものなのだ」と、昔の人はみんなそう考えながらお米を作り続けた。
戦前の小学校歴史教科書『尋常小学国史』の冒頭には
「天皇陛下のご先祖を天照大神と申す。大神は御徳きはめて高き御方にて、はじめて稲・麦などを田畑に植ゑさせ、また蚕をかはせて、万民を恵みたまへり」
と書かれていた。
その後
「大神の御弟にスサノオノミコトと申す御方ありて、たびたびあらあらしき行ひありし・・・大神つひにたへかねたまひて天の岩屋に入り、岩戸をたててその中にかくれたまへり」
と続く。したがって、天照大神がまず稲をお植えになったところが米の発祥の時点であり、その後にスサノオに水田を荒らされて大神は岩戸にお隠れになった、と見做していた。
さらに、有名な「天孫降臨」の話がある。古事記によると、天照大神は天孫降臨に際して孫のニニギノミコトに稲穂を渡して、これで豊葦原の国を開拓して暮らしをたてよと神勅されている。
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