『古事記』と『日本書紀』は「記紀」と称されるほどだが、内容的にはかなり違いがある。
『古事記』の読みは「こじき」ではなく、正確には「ふることぶみ」(「古い事を記した書」の意味)と読む。
『古事記』原文(第一段相当)
『天地(あめつち)が初めて分かれた時に、高天原に成られた神の御名は「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と云う。
次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かむむすひのかみ)である。
この三柱(みはしら)の神はみな獨神(ひとりがみ)で、お姿を現されることはなかった。』
ここまでの三柱を「造化三神(ぞうかさんしん)」と称する。
いわばキリスト教など海外の宗教の「創造神」のイメージに近く、別格中の別格の神様と言える。
『その後、世界(宇宙)ができたてで、水に浮かぶ脂のように、或は海を彷徨う久羅下(くらげ)のように定めなく漂(流)っている葦)の芽のように、息吹き萌え上がるものから成られた神の御名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこちぢのかみ)、 次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)と云う。
この二柱の神もまた獨神で、お姿を現されることはなかった。』
以上の五柱の神を「別天神(ことあまつかみ)」と称する。
「別天神」の意味は、この後に次々と誕生してくる神様の中でも、やはり別格の位置づけと見るべきであろう。
日本書紀 第一段 本文
『「古(いにしへ)の未だ天地が離れず、陰と陽とも分かれておらず、廻りならが漂う姿は、あたかも鶏の卵のようであり、暗くてよくわからない中で何らかの芽生えの気配が生まれた。
その輝くものは薄く広がって天となり、重く濁ったものは留まって地となった。
清く明るいものは集まりやすく、重く濁ったものは固まりにくかった。
そこで、まず天ができ、その後に地ができた。
かくして後に「神が、その中で生まれた」と云われている。
かようなことから、我が国では、次のように伝えられている。』
『天地ができ始める時の地が浮かび漂う様子は、例えると魚が水の上に浮いているようなものであった。
その時、天地の中に一つのものが生まれた。
形は萌え出(いづ)る葦の芽のようで、それが神となった。
國常立尊(くにのとこたちのみこと)と申し上げる。
大変貴い方を「尊」と表し、それ以外を「命」と表す。
次に國狹槌尊(くにのさつちのみこと)、次に豐斟渟尊(とよくむぬのみこと)で、すべてで三柱の神である。
この三柱の神は乾道(あめのみち=陽)だけで生まれたものである。
よって、純粋な男神である。』
このように古事記と日本書紀とでは、最初に誕生した三柱の神が、まったく異なる。
さらに日本書紀の方には、古事記に記される「造化三神」に相当する別格的な神格をイメージさせるような称号の表記がない。
第一段 第一節
一書には、次のように伝えている。
天地が初めて分かれ始めた時、あるものが空にあった。
形状しがたきものであった。
その中に自然と神が生まれた。
國常立尊と云う。
または國底立尊(くにのそこたちのみこと)と云う。
次に國狹槌尊(くにのさつちのみこと)、または國狹立尊(くにのさたちのみこと)と云う。
次に豐國主尊(とよくにぬしのみこと)、または豐組野尊(とよくむののみこと)と云う。
または豐香節野尊(とよかぶののみこと)と云う。
または浮経野豐買尊(うかぶののとよかふのみこと)と云う。
または豐國野尊(とよくにののみこと)と云う。
または豐齧野尊(とよかぶののみこと)と云う。
または葉木國野尊(はこくにののみこと)と云う。
または見野尊(みののみこと)と云う。
※AV女優か怪しい三国人のように、別名が幾つもあるのはなんで?
第一段 第二節
一書には、次のように伝えている。
古(いにしへ)の国も地も誕生したばかりの頃は、例えれば膏(あぶら)が水に浮かんでいるようなものであった。
ある時、国の中にものが生まれた。
その形は、葦の芽が芽生え出たようであった。
かようにして、生まれた神がおられた。
可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)と云う。
次に國常立尊。
次に國狹槌尊。
葉木國、これを播挙矩爾(はこくに)と云う。
可美、これを于麻時(うまし)と云う。
第一段 第三節
一書には、次のように伝えている。
天と地とが混じり合っていた時に、初めて神人が生まれた。
可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)と云う。
次に國底立尊。
彦舅は、比古尼(ひこぢ)と云う。
※いつの間にやら、すっかり可美葦牙彦舅尊が根源神に成っている!
第一段 第四節
一書には、次のように伝えている。
天地が初めて分かれた時、始めに共に生まれた神がある。
國常立尊と云う、次に國狹槌尊と云う。
また、高天原(たかまのはら)に生まれた神の御名は、天御中主尊(あまのみなかぬしのみこと)と云う。
次に高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)、次に神皇産靈尊(かむみむすひのみこと)
皇産靈は、これを美武須毘(みむすひ)と云う。
※「また、高天原(たかまのはら)に生まれた神の御名は天御中主尊~」とあるから、最初に登場する「國常立尊と云う、次に國狹槌尊と云う」は高天原ではないところに誕生したということか?
第一段 第五節
一書には、次のように伝えている。
天地が未だ生まれていない時は、例えれば海の上に浮かぶ雲がどこにも繋がれていないようなものであった。
その中に、一つのものが生まれた。
それは、葦の芽が初めて埿(どろ)の中から出てくるようであった。
それが、人(かみ)となった。
國常立尊と云う
第一段 第六節
一書には、次のように伝えている。
天地が初めて分かれた時、そこにあるものがあった。
それは、あたかも葦の芽のようなもので、空の中に生まれた。
これから生まれた神を天常立尊(あまのとこたちのみこと)と云う。
次に可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)と云う。
また、あるものがあり、それはあたかも浮かんでいる膏(あぶら)のようなもので、空の中に生まれた。
これから生まれた神を國常立尊と云う。
※今度は天常立尊が最初に登場してきた。
しかし段落を区切っているところからすると、必ずしもみな同じところに誕生したのではないと解釈できる。
単純に名前から見ても「天常立尊」、「國常立尊」は対に成るべき神で、天と地に別れていると考えるのが妥当と思うのだが。
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