神代一之巻【天地初發の段】本居宣長訳(一部、編集)
○三柱(みはしら)
一般にいにしえには、神も人も数えるのに「幾柱」と言った。 神は当然だが、皇子たちも「柱」と言うのが記では普通だ。 少し後には「三代実録」【十一】、清和天皇の大命に「太政大臣一柱」とあり「うつほの物語」【藤原の君の巻】に大将という人の娘たちのことを言うところで「今一柱は」と言っている。みな貴人のことである。【書紀に「仏像一躯、二躯」とあるのも「ひとはしら、ふたはしら」と読む。「おちくぼの物語」にも「仏一はしら、仏九はしら」などとある。
また「本朝文粋」前中書王の文に、白檀の観世音菩薩一柱とある。 漢文には珍しい。ところが称徳紀の宣命には「二所の天皇」とあり、中昔の歌物語にも貴人をみな「幾所」と書いてある。今の世の俗言で「御一方、御二方」と言うようなものである。】
なぜ「柱」と言うのかは定かでないが、上代には天皇の住む宮を造るのに「底津石根(そこついわね)に宮柱布刀斯理(みやばしらフトシリ)」と言い「柱は高く太く」とも言い、大殿祭りの詞にも柱を旨(むね)と言い、書紀の意祁御子(仁賢天皇)の室壽(むろほぎ)の詞にも「築立柱者、此家長御心之鎮也(ツキたつるハシラハ、このイエキミノみこころのシズマリなり)」とあり、その他にも神代の初めに女男(めお)の大神が天之御柱(あめのみはしら)を行き巡ったことなど柱を言う話が多く、後世には伊勢の皇太神宮に「心の御柱」というのもある。 すると、その柱は普通数多く立てるものであるから、皇子が数多くいることを愛でて幾柱と言ったのではないだろうか。
○獨神(ひとりがみ)とは、次に続く女男(めお)の偶神と違って、ただ一柱ずつ生まれ配偶神が無かったことを言う。
兄弟のない子を「独子(ひとりご)」と言うのと同じである。【神の下に「と」と「てにをは」を添えて読むのは良くない。】
○隱身也(みみをかくしたまいき)は、身を隠して顕れないことを言う。
【「形がないことを言う」というのは、後世の半解である。少名毘古那神のことを、神産巣日神が「私の手の俣(指の間)から漏れた子だ」と言ったことを考えよ。形がないのに手があるわけはない。この「手の俣」のことを世人はどう思っているのだろうか。 およそ神代の古い出来事を、単なるたとえ話のように見るのは例の漢意の癖であって、甚だしく古伝の意に背くものである。】
○上記の三柱の神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)は、どんな産霊によって生まれたか伝えられていないので分からない。それは非常に非常に奇(くす)しく霊妙な理由によって生まれたのである。しかし、そのことはもう心も言葉も及ばないはずのことだから、伝えがないのももっともだ。【いにしえの伝えがない事柄に自分の考えで理屈を付け、こじつけて解釈しようとするのは外国の風習であって、みだりがわしいことである。】この神たちは天地に先だって生まれたのだから【天地の生成はこの後にあるので、この神々の誕生がそれよりも前のことなのは明らかだ。】ただの虚空に生まれたのに【書紀の一書に「天地初判、一物在於虚中(アメツチのハジメのトキ、オオゾラにモノひとつナレリ)」、また一書に「天地初判、有物若葦牙生於空中(アメツチのハジメのトキ、アシカビのゴトクナルもの、オオゾラにナレリ)」などとあるのに準じて考えよ。
まだ天地が生まれる前は、どこまでも果てしない虚空だけがあった。
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