古事記では「最初に現れた神々」として別格的な感じの「造化三神」だが、日本書紀では本文でもない「一書の4」の「異伝」でやっと登場するのみという、極めて大きな差異がある。
●天之御中主神
天地開闢で宇宙で最初に現れた神。
宇宙が混沌している中で現れ、高天原の主宰神となった。
理屈上では創造神的な位置づけであり、記紀の中では一番最初に登場する神様。
そんな中心的な神でありながら、その後はまったく登場して来ないことからイメージが難しいためか、最初に登場した神の割に知名度が甚だ低い。
しかし最初に登場することに加え、その名前からも世界の中心的な存在のはずなのである。
そこで江戸時代に起きた復古神道では、天之御中主神と高御産巣日、神産巣日神を併せた造化三神を最高位の神とし、中でも天之御中主神は特別な究極の神とした。
日本書紀では「第一段一書(四)」で「高天原に生まれた神」として登場するのみで、そもそも最初に生まれる神となっていない点は、古事記と大違いだ。
このようなことから「天之御中主神は、古事記編纂の時に作られた神じゃないか?」という説もある(確かに、名前も出来すぎている気がする)
続日本紀(797年完成)では、中臣氏の先祖が天之御中主神と書かれている。
ここから当時は藤原氏の勢力が強く、藤原氏の先祖である中臣氏を持ち上げたとも考えられる。
続日本紀の後に書かれた「日本後紀(840年完成)」の直後に出来ている倭漢惣歴帝譜図や宋史(1345年完成)には、天之御中主神が「皇室の祖先」として書かれている。
●ムスビかムスヒか「高御産巣日神」
当初は、何かを生み出す力として「産巣日」を持つものと見られていたが、現在は「産巣」+「ヒ(日)」で「太陽神」と見る説が強い。
高御産巣日神の別名である「高木神」は高い木、樹霊信仰を表し、それは天に伸び「太陽」へと続くというのが根拠となる。
この「天」という思想が「高天原」のイメージを作ったのかもしれない。
天照大御神信仰が成立したのは天智・天武天皇の頃で、それ以前は天照大御神も八百万の神々の1柱でしかなかった、と言われる。
それ以前に伊勢神宮に居た神が、実は高御産巣日神であった。
そのご神体が「心の御柱」と言われる。
高御産巣日神は、事実上の高天原の主宰神として辣腕を振るう。
天の安河に神々を集めて指令を下す時など、常に天照大御神の横に並ぶようにおり、出雲に国譲りを迫る時も高御産巣日神が天照大御神と並んでいた。
時には「天照大御神をもさし措いて」高御産巣日神が単独で様々な指令を下すこともある。
このことから「実は本来高天原の中心神だったのが、後から登場してきた天照大御神に「権力を奪われた」ようにも見える。
天岩戸を境に、すっかり弱弱しくなってしまった天照大御神から「権力を乗っ取った」とされるイメージが強い高御産巣日神だが、実際には逆で天照大御神の登場により主導権を奪われたが、スサノオの乱暴狼藉によってお隠れになった(?)「天岩戸事件」後、すっかり衰えた感のある(二代目に代替わりした説も)天照大御神に代わり、高天原の主宰神として復活したとも言える。
『古事記』では、即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で夢に登場し、さらに天照大御神より優位に立って天孫降臨を司令している伝も存在することから、この神が本来の皇祖神だとする説もある。
●神産巣日神
高御産巣日神と、対になる神である。
高御産巣日神、天之御中主神、そして神産巣日神を合わせて「造化三神」と呼ぶ。
宇宙開闢の祖、というよりは宇宙そのもののイメージである。
この造化三神のうち、高御産巣日神を男神、神産巣日神を女神とする(古事記の記載は、どちらも性別のない「独神」だが、実質的には男女として捉えられる)
天之御中主神には、このような性別の属性はない。
出雲地方と特に深く関係し、なぜか大国主神(大己貴神)とは母子のような関係にも見える。
大国主神が兄弟の八十神に殺された時は、キサガイヒメ・ウムガイヒメを派遣して生き返らせた。
大国主神が国造りを行う際に強力なパートナーとなった少彦名神は、神産巣日神の指の隙間からこぼれ落ちた子供とされる(日本書紀では、高御産巣日神の子になっているが)
国譲りの後、大国主神は出雲大社に隠遁するが、その出雲大社の造営のために全国の神々を集め、指揮をとったのが神産巣日神である。
このように高御産巣日神とともに、死んだものを簡単に生き返らせるなど「生成」を司る神と言える。
高御産巣日神とは同時に登場したことはなく、必ずどちらか一方が単独で登場することから「実は同一神では?」とする説もある。
≪参考≫
※ Wikipedia引用
※ http://kumoi1.web.fc2.com/CCP081.html
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