2016/08/26

スサノオ

 『日本書紀』では素戔男尊素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。アマテラスオオミカミの弟神であり、日本力の象徴の双対として神話では描かれている。

『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊弉諾尊(伊邪那岐命・いざなぎ)が黄泉の国から帰還し、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする(阿波岐原は江田神社の御池に比定される)。

日本書紀』では、伊弉諾尊と伊弉冉尊 (伊邪那美命・いざなみ)の間に産まれた三貴子の末子に当たる。その与えられた役割は、太陽を神格化した天照大神(あまてらす)、月を神格化した月夜見尊(月読命、つくよみ)とは少々異なっているため、議論の的となっている。

統治領域は文献によって異なり、三貴神のうち天照大神は高天原であるが、月夜見尊は滄海原(あおのうなばら)または夜を、素戔嗚尊には夜の食国(よるのおすくに)または海原を治めるように言われたとあり、それぞれ異なる。

スサノヲの性格は多面的である。母の国へ行きたいと言って、泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる。出雲へ降りると一転して、貴種流離譚の英雄的な性格となる。八岐大蛇退治の英雄譚は、優秀な産鉄民を平定した象徴と見る説も根強く、草薙剣の取得はその象徴であるとの解釈も多い。

また天下の王となる大国主之神、あるいは、その後の天皇の神器の出所がスサノオであるため、キングメーカーの象徴とも解釈される。しかし日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化英雄的な側面もある。

これは、多数の神が習合してスサノヲという神格が創造されたためとする説もあるが、彼が成長するにつれて見せる側面であるとする説もある。神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や(高天原でのスサノヲの行いは、暴風雨の被害を示すとする)、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲の須佐郷(現在の島根県出雲市佐田町 須佐)に因むとする説(スサノヲは、須佐郷の族長を神格化したものとする)、州砂(=砂鉄)の王という説から、たたら製鉄の盛んであった意宇郡(おうのこおり)の首長とする説などがある。

『記紀』神話においては、出雲の神の祖神として書かれているスサノヲであるが『出雲国風土記』では彼はあまり登場せず、意宇郡安来郷や飯石郡(いいしのこおり)須佐郷などの地名制定や御子神たちの説話が書かれており、八岐大蛇退治の説話は記載されていない。そのため、元々は別の地方の神ではないかとする説もあり、その地として以下のような説がある。

・『日本書紀』の一書で、八岐大蛇退治が行われたとする備中とする説

・大国主がスサノヲのいる根の国へ行く前に「木の国」へ行っていること、子の五十猛が祀られているとしていることなどから紀伊国(熊野)とする説

・『日本書紀』一書第4のまず新羅の曽尸茂梨に天降ってから、出雲の鳥上峯に来たとの記述から新羅の神とする説

しかし、基本的には『記紀』、風土記をそれぞれ眺めると、出雲との結びつきが強い神といえる。

出雲国(現:島根県)東部の奥出雲町には、スサノヲが降臨したといわれる鳥髪峰(現:船通山)、それに隣接する安来市は、彼が地名をつけたという風土記の記述もある。これらの地域が、古代よりたたら製鉄が盛んであったこともあいまって、八岐大蛇退治は当時の冶金技術の結晶であった最強の金属;鋼(釼)(現在の和鋼(玉鋼)もしくは工具鋼)の開発・発明を象徴しているという見方もある。

つまり鉄鋼素材を機械的な鍛造(鍛錬)、物理化学的な相変態処理である熱処理(焼入れ)で鋼を作った神話時代の記憶を反映したとの見方である。現在でも、島根県安来市には日立金属安来工場や冶金研究所などが日本刀剣美術協会とともに、この地域で古式に則ったたたら製鋼を行うことでも有名である。

後に、仏教における祇園精舎の守護神である牛頭天王と習合した。これは、どちらも疫神だからであるとする説があるが、他の解釈も多い。オーストリアの民族学者アレクサンダー・スラヴィクは、根之国に追われた後のスサノオが蓑と笠を着て神々に宿を頼んだことを解釈して、蓑と笠は本来神聖 な「祭祀的来訪者」が着ることを許されるのであり、スサノオはそのような来訪者として神々に宿を貸すように強制し、客人歓待の慣習を要求したのである、と考えている。
出典Wikipedia

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