「オリンピック観戦の醍醐味」は、なんと言っても
「世界最高レベルのアスリートたちによる、高度な力と技の応酬」である。
だから「メダルの数など問題じゃない」などという声も聞かれるが、これはキレイごとに過ぎぬ。
そのような輩は
「世界最高レベルのアスリートが全力を出し切って頑張る姿が大事であり、メダルはあくまで結果に過ぎない」
などと、救い難いアホを言う。このようなアホどもには
「では世界最高レベルのアスリートが、全力を出し切って頑張るのはなぜか?」
と聞いてみたい。
みなが頑張る動機は「我こそは世界一」を満天下にアピールするためで、それ以外になにがあるのか?
オリンピックで金メダルを獲らずして、どうやって「世界一の証明」ができるというのか?
オリンピックに出場する選手の究極目標は、あくまで金メダルでなくてはならないはずで「メダルの数など問題じゃない」などという輩は、そもそも「オリンピックの趣旨を理解していない愚者」としか言いようがない。
もちろんオリンピック代表と言っても、それにはかなりの実力差があるから、全員が金メダルを狙ってはいないだろうが、曲がりなりにもオリンピックに出場するレベルであるなら、誰しも「チャンスがあれば金を狙う」くらいの気概は持って臨んでいるハズである。
日本人の好きな「参加することに意義がある」などはもっての外であり、オリンピックという最高の舞台でしか得られない「結果(メダル)」を持ち帰ってこそ「オリンピック参加意義」がある。オリンピック代表選手ともなれば、多くの人々と唸るような資金が支えているという現実に鑑みれば、結果も残さずに「楽しめました」などとノーテンキなセリフは口が裂けても吐いてはならない。
ヘボ解説者やマスゴミの論調などでも「よく頑張りました」というのも気に食わん。なにを、たわけたことをほざいているのか!
舞台は「オリンピック」なのだから「ここで頑張らなくて、一体どこで頑張るのだ?」と言いたい。
繰り返すがオリンピック(に限らず、勝負事全てに通じるが)では「頑張る」ことが尊いのではない。頑張るなどは自明の前提なのだから、あくまで「結果」が全てであり、極論すれば「欠伸をしていて金メダルが獲れるのなら、全然頑張らなくても良い」のである。「参加することに意義がある」というのは「よい生き方」に拘るのではなく「物理的な生のみ」を意味なく長らえさせることに執着する、今日の風潮にも通じる。
□大会2日目(日本時間6日20時30分~7日12時50分)
開幕早々から、日本選手が大活躍。競泳男子400メートル個人メドレーで萩野が「金」、瀬戸が「銅」のダブル表彰台という快挙を達成した。
柔道では男子60キロ級の高藤と、女子48キロ級の近藤が揃って「銅」。かつて「お家芸」と言われた柔道だけに、せめて男子の高藤には「金」を獲ってほしいところだったが、なんとかメダルを獲れただけでも良しとするか。
さらに重量挙げでも、女子48キロ級でロンドン五輪銀メダルの三宅が、2大会連続となるメダル(銅)を獲得し、この日だけで「金1、銅4」という怒涛のメダルラッシュである。
□大会3日目(日本時間7日20時30分~8日12時50分)
柔道は女子52キロ級の中村と、男子66キロ級の海老沼ともに「金」の期待が高かったが、前日同様「アベック銅」に終わった。2日終えて「銅4」という微妙な結果、待望の「金」がまだ獲れていないが、4階級全てで「外国勢のインチキJUDO」に伍して、正統派柔道でなんとかメダルに引っかかっているのだから、まあ良しとするか。
この日最大の期待外れというか誤算はフェンシングの太田で、前回金メダリストが、まさかの緒戦敗退となってしまった。
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