2020/02/01

イエス・キリスト(8) ~ イエスの語る「神」


出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html

 そして、キリスト教の受容・伝播の根本的要因となったのが、いわゆる「弱者の救済」というイエスの姿勢であったと考えられますが、それはイエスの教えを簡潔にまとめた、マタイ福音書のいわゆる「山上の教え」と呼ばれているものに明白に見られます。同じ内容のものはルカ福音書にもあり、イエスの実際の教えを最も良く示しているものとして有名です。それは、以下のようです。

ああ、  幸いだ、神に寄りすがる貧しい人達、天の国はその人達のものとなるのだから
ああ、  幸いだ、悲しんでいる人達、かの日に慰めていただくのは、その人達だから
ああ、  幸いだ、踏み付けられてじっと我慢している人達、約束の地なる御国を相続するのは、その人達だから
ああ、  幸いだ、神の義に飢え乾いている人達、かの日に満足させられるのは、その人達だから
ああ、  幸いだ、憐れみ深い人達、かの日に憐れんでいただくのは、その人達だから
ああ、  幸いだ、心の清い人達、御国に入って神に見えるのは、その人達だから
ああ、  幸いだ、平和をつくる人達、神の子にしていただくのは、その人達だから

 そしてこれに続いて、信仰のゆえに迫害されても、それは「幸い」となる、これまでの預言者も迫害されてきたのだから、という言葉で締めくくっています。この「迫害」というのは、悔い改めることなく地上の財産、快楽、権力を大事にする人々からの迫害、あるいは上層階級、また当時、実際イエスを迫害していたユダヤ教神官・学者からの迫害を念頭に置いてのものです。ここでは、後世に起きる「異教徒」たるローマ帝国からの迫害は予測してはいません。
 
 さて、このうち一番始めの「神に寄りすがる貧しい人々」というのに、少し説明を加えておく必要があります。というのも、これは一般の聖書では「心の貧しい人達は幸いである」と訳されているからです。この「心が貧しい」という日本語は、むしろ否定的なニュアンスを持っていますが、ここではそうではありません。ギリシャ語原文では「プネウマ(霊、心)において乞食である」ということで、本来の意味は「(神の救済を求める心が満たされておらず)、心から神の救済を願っている」といった意味なのです。

 これに関して、本来はルカ福音書にあるように、「貧しいもの、乞食は」という言葉であったろうと考えられています。意味は、文字通り「その日その日を物乞いして、やっと過ごしている人達」という意味であったろうと信じられています。この人達は当時、働こうにも働く場も機会もあたえられず「乞食」をするしか生きる術のない人達であって、こうした人達はけっして少数ではなかったのです。イエスは、こうした人達への救済を願っていました。

 ただイエスの場合、社会革命というやり方ではなく、人々の「意識・心」を変革することによって、こうした人々をつくり蔑んでいる社会の在り方そのものを変革しようとしたのです。こう言われて、心ある人は「人の在り方」というものに思いをいたし、考えたことでしょう。実際、そういう人達がいたからイエスは受け入れられて、また後世キリスト教会などが形成されたのでした。実際、初期のキリスト教では、その内部で差別は撤廃されていたのです。もちろん、こうした「乞食をして生きていた人々」は、勇気づけられ救われた思いがしたでしょう。それ故に、イエスの教えは広まっていったのです。

 そしてもう一つ注意されるのは、ルカ福音書の場合には、イエスは直接「あなた方」と言う形で話しかけています。マタイの場合は、普遍化された客観的な言い方です、つまり思想のようにされています。しかし実際のイエスは常に人々とあって、人々に直接話しかけていたのです。「あなた」が大事だったのです。「私とあなた」という関係のところでしか、真実は開示されてこないと多分、イエスは考えていたでしょう。

 これ以下の教えについてはくどい説明は不要でしょうが、すべてがこの当時、虐げられていた人々にこそ「神の愛がある」と言っていることは、注意されなければなりません。つまり「人一般」への抽象的「救いの教え」ではなく、むしろ「具体的弱者」の救済という特質を持っていたということです。

 これがローマ社会の中に迎えられるようになって、しだいに変質し「人一般」が対象になってくるのです。それにはインテリ、つまり当時のストア学派や新プラトン派の哲学者が一枚かんでいるでしょう。というのも、彼らがキリスト教に改宗していっているからです。それは、彼らが「人間の力の限界性」を考えるようになっていたからでしょう。こうして、彼らは「神の力による救済」という思想がキリスト教にあると理解して、この思想こそ限界のある人間の真実の救済になると信じて、キリスト教に改宗していったと考えられます。

 ところが、彼らはむしろ上流階級の人たちでした。ここでキリスト教は「虐げられた者の救済の教え」から「人間一般の救済」へと拡大していったと思われます。ただし、ここまではイエスの教えに適うことでしたから良いです。ただし、イエスの教えの理解の内容が「救済の叫び」から、人間をこのように見守って生かしてくれる「神への感謝」という面に比重が移っているとは言えます。

 しかし、こうなることで、「女・奴隷の宗教」という性格を持っていたと理解できる「弱者」のための宗教から「普遍的人間そのもののための宗教」となっていったのです。

これが「キリスト教」という宗教の内容となるわけですが、一番の問題はこれが「ローマ帝国の国教」とされたところにあるでしょう。何故なら本来「虐げられた者のための救済」を目指していた教えが「皇帝のもの」とされているからです。これ以降、キリスト教は「皇帝と手を結ぶ」ことになってきます。

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