2008/10/08

阿部野橋

 <区名や町名が「阿倍野」であるのに、駅名は「阿部野」と異なっている。阿倍野区内には阿部野神社があり、こちらの表記の方が古いらしい。

1923年(大正12年)の開業当初は大阪天王寺駅と称していたが、早くも翌1924年に大阪阿部野橋駅へと改称されている>

<案内表示や車両の方向幕などは、しばしば「あべの橋駅」と略記・仮名混じりで表記される(16000系特急車の前サボでは、さらに略して「あべの」のみと表示されていた)

これは20043月までは「あべの橋」と称されていたためで、この年の(近鉄では2006年まではダイヤ「改正」と表現していなかったが、20073月度の変更において、初めて「改正」と表現した)から、駅構内の看板がすべて「大阪阿部野橋」に架け替えられている。

また、それまでは車内アナウンスでも「次は、あべの橋」となっていたが、これを境に「次は、大阪阿部野橋」と変わっている。現在、順次電車の行先案内表示も「大阪阿部野橋」に書き換えている>

<なお近鉄では、同時期からそれまで慣例化していた旧国名を省略した駅名表記を順次、旧国名を併記した正式な駅名表記に改める(例:「西大寺」→「大和西大寺」)ようになっており、その一環と見られる。因みに、大阪市営バスは現在でも「あべの橋」(正式には「阿倍野橋」)を停留所名としている。駅前の谷町筋がJR線をオーバークロスする橋の欄干には「あべのばし」と掘り込まれている>
出典Wikipedia

 JRの「天王寺」と近鉄の「阿部野橋」の関係は、同様のJRの「大阪」駅と阪急・阪神・地下鉄の「梅田」の関係に似ていて、ワタクシも最初のうちは戸惑ったが、慣れないとかなりややこしい。もっとも前者の場合は、JR隣接駅の「北新地」を含めた一体が「キタ」と称されるターミナルになっているだけに余計にややこしいが、この辺りにまで踏み込むとわけがわからなくなってしまうため「阿部野橋」に話を戻す。

では、この名の由来はなんなのか?

<町名は、阿倍野街道(熊野街道の一部)に沿う町筋であることと、旧天王寺村時代の大字の阿倍野の中央部を南北に通じる街区である事に由来するが、阿倍野そのものの地名起源には、諸説がある。有力なのは、孝元天皇の皇子大彦命を祖する阿倍氏という豪族が、この周辺地域に居住したとする説である。阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)などの著名な人物の存在も知られ、阿倍野の名が浮かび出た。

異説に村岡良弼・吉田東伍両博士の餘戸(あまべ)郷の「ま」が省略されて「あべ」になったという説、また万葉集・夫木集にある阿倍島説、他に痾免寺説や安倍晴明・阿倍王子などに由来する説、など数多くある>

<阿倍野の由来はたくさんあり、万葉集の山辺赤人からという説や、古地名の「アマベ」という説などもあるが、昔、この辺に住んでいた「阿倍氏」の名が由来となった説が強い>

とのことであるが、なにやら益々混迷を深める結果になったような。

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