久しぶりに実家に帰り、母と話をしていると
「折角だし、みーを呼んでみる?」
と母から持ちかけられた。
みーとは、姉の事だ。
「もう長い事、会ってないでしょ?」
といわれた。考えてみれば、もうどのくらい会ってなかったか、直ぐに解が浮かんでこないくらいである。
以前に住んでいた住居は、同じ県内だったのでちょくちょく実家に顔を出していたが、2004年に東京に移住してからは実家にもあまり帰っていなかった。
東京での生活が落ち着いて、ようやく帰省したのは上京およそ2年後の2006年春であり、次が2007年の秋。いずれも「帰省」というよりは、春の花見と秋の紅葉見物で京都に行ったついでに寄っただけだから、行きと帰りの3時間程度だけの滞在という慌しさだった。
それから、一年。たまたま時間的な余裕が出来た事もあり、また歳を取った両親の事も気になるため、3度目の帰省をしたのだ。実のところ、前に済んでいた住居にそのまま置いてきているものが沢山あるが、ClassicのCD数百枚もそうだった。上京後は、マンション住まいで部屋が狭い事もあり、CDまでは手が廻らなかった。
上京後、4年の間に購入したCDもかなり溜まってきたが、以前に買ったものを無性に聴きたくなる時があり、かといって同じものを何枚も買うのも業腹なので、一度泊りがけで帰省し、CDのデータをPCに移して持ち帰ろうと目論んでいた。
そうした目論見を抱えての帰省予定であり、1泊2日なら100枚以上はデータの移行も出来るだろう、と目算していた。ただし実家にも元の住居にも、ワタクシの寝る場所がなかった(正確には元いた場所はあるが、長年人が住んでいないため黴臭く、とても居られたものではなかった)ため、実家に近いホテルに泊まる算段だった。
そうして、元の住居から持ってきたCDを実家でPCのデータの移行をしながら、母と話していた時に出たのが冒頭の会話だった。
「あれであの子も、アンタのことが気になるらしくて
『にゃべは、どーなった?』
と、時々聞かれるんだよ。一回、電話でも話したらどう?」
と持ちかけられた。結婚をして男児2人を産んだ話は聞いていたし、上の子がまだ赤ん坊の頃に少しばかり遊んだ記憶があるが、下の子は殆ど記憶にない。あの上の赤ん坊がもう小学生だというから、10年くらいは会ってないのだろう。
「どうする?
電話してみようか?」
と、母に問いかけられた。
「うん・・・まあ、どっちでもえーけど・・・」
正直、姉といっても元々たいした付き合いがあった訳ではないし、特に懐かしいという感情もなかった。子供が苦手だから、子連れでやってくると面倒くさいな、と思ったくらいである。
そう言おうとしたところで、母がすでに電話機を取り上げていたが、幸か不幸か留守のようだった。
その日は土曜日で
「あれは休みの日は、いつも居ないんだよ・・・よー出かけてるみたいだよ」
と母が言った。
先にも書いたように、姉に対して特に懐かしいという感情はなかったが、ちょうどこの時、上の姉が大病で入院をしていて「義理でも見舞いに行ってくれ」と両親から頼まれていた。
それはさておき、夜になって気紛れを起こし姉に電話をしてみようという気になったのは、姉が毎週のように病院に行っているという事だから、最も事情をよく知っていると思ったからである。
こうして母親から聞いた姉の携帯電話に、初めて掛ける事になった。
「誰かわかるかー?」
「おー。珍しい・・・」
よく憶えていたなと思ったが、後で聞いたところによるとこちらの携帯番号を登録してあるらしかったから、声を聞く前からわかっていたのだろう。ひと通り聞くことを聞いた後は、久しぶりということもあって世間話となったのは、自然な成り行きだった。
「で、アンタは結婚はせんの?」
「うーん・・・特に考えてないけど・・・そーいやそっちの子も、もう随分大きくなった?」
「小学生だわ。上の子は、もう直ぐ中学だし。早いでしょう」
思わぬ話題が出て、仰天したのはこの時だった。
「そうそう、子供の親にアンタの同級生が多いんだってば。
『にゃべちゃんの、お姉さんですよねー?』
とか言われてさー」
「えー。『B小』(自分や姉の母校)なのか・・・?」
てっきり、隣の学区の新しい学校だと思い込んでいただけに、これはまったく意外だった。と言うよりは当たり前だが、言われるまでそのような事はまったく、考えた事もなかった。
「『B小』だよ。
『にゃべちゃんは、今どうしてるんですかー?』
とか聞かれるんだって。知らんわー、そんなこと」
「知るわけねーよな・・・」
「『なんかよく知らないけど、東京でコンピューター関係の仕事をしてるみたいだよ。 この前までは政府機関とか、Nの研究所とかなんとかに行ってたと(母から)聞いたけど・・・』」
というと
「えー!
政府機関にN研究所だって・・・やっぱ相変わらず、賢いんだ・・・」
と感心していたとか。
小・中学生時代は『神童』で通っていただけに、依然として古ぼけた「神童」のイメージが根強く残っているらしいのは厄介だ。
「それどころか、相変わらず変人ぶりで・・・とは言わんかったけど。しかし、こっちは名前聞いても全然知らんし、参るよ。元々、知らん上に、みんな苗字も変わっとるしで余計わからんわ。参った参った・・・」
などとぼやいていた。
「実際、こっちも何しとるのかよーわからんし・・・」
「最近は(東京で)NやD社の基盤をやってるが・・・」
「無駄無駄。んな事いっても誰も理解できんよー、こんな田舎者が。私だって「キバン」とか言われても、サッパリわからんわ・・・」
実際、田舎の事だから皆地元か名古屋の大学を出たところで、直ぐに地元の企業に就職するのが普通で、名古屋の企業に勤めるくらいであれば「エリート視」されるような土地柄である(大部分はT社の下請け孫請けか、地元の製造メーカー)
確かに田舎にあっては、東京などは「外国」のようなものなのだ。
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