2008/10/31

【女子マラソン】高橋尚子の偉大さ

TVを観ないワタクシは、ネットで「高橋尚子引退」のニュースを見て、You Tubeで記者会見を見た。久しぶりに見た高橋選手は随分やつれて、当たり前のことだが老けた印象に痛々しい思いがしたものだ。まさに「ボロボロになっての引退」という印象を受けた。

 

高橋選手の過去の偉大な戦績を事細かに書いていては、それだけで何回ものシリーズが出来てしまいそうなので、ここでは概略のみを記載しておこう(Wikipediaから引用)

 

7位:19971月 大阪国際女子マラソン 2時間3132秒 = 初マラソン

優勝19983月 名古屋国際女子マラソン 2時間2548秒 = 当時の日本最高記録

 優勝199812月 バンコク・アジア大会 2時間2147秒 = 当時の日本最高記録

優勝20003月 名古屋国際女子マラソン 2時間2219秒 = 大会記録

優勝20009月 シドニーオリンピック 2時間2314秒 = 金メダル・五輪記録

優勝20019月 ベルリンマラソン 2時間1946秒 = 当時の世界最高記録

優勝20029月 ベルリンマラソン 2時間2149秒= マラソン6連覇

2位:200311月 東京国際女子マラソン 2時間2721

優勝200511月 東京国際女子マラソン 2時間2439秒= 2大会ぶりマラソン優勝

3位:200611月 東京国際女子マラソン 2時間3122

⑪ 27位:20083月 名古屋国際女子マラソン = 2時間4418

 

改めてこうしてみると、いかに偉大な戦績かがわかる。

 

2度目のマラソンで日本記録での優勝を皮切りに、3レース目でさらに日本記録を更新。さらに4レース目は大会記録、そして5レース目はオリンピック記録での金メダルと、まさに絶頂である。ここまでで既に位人臣を極めた感があるが、次の6レース目で世界最高記録を叩き出してしまうところが圧巻だ。さらに7レース目で、マラソン6連覇という偉業を成し遂げた。初優勝から実に5年以上、王座に君臨し続けた事になるが、この辺りまでがピークだったのだろう。

 

このように、数字で記録を表してみただけでも高橋選手の凄さがわかろうというものだが、これら総てのレースを殆どリアルタイムで観て来たワタクシなどからすれば、こうした文字や数字以上に高橋選手の偉大さを肌で感じてきた一人である。

 

そんなワタクシだけに

 

「日本の長距離選手では、高橋尚子選手こそ過去の誰よりも、最も実力と才能を備えていた」

 

と思う気持ちは、今でも揺るぎない。最近では、野口みずき選手と比較して「野口の方が上だ」という意見もよく耳にするが、その殆どが野口の全盛期と高橋選手がピークを超えた時との比較でしかなく、両者の全盛期において比較したものを見たことがないのだから、オハナシにならないのである。

 

さらに高橋選手の魅力的なところは、ただ強いだけでなくあの陽気なパーソナリティに見られる、優れた人間性(勿論、実際のところはわからないが、あくまで見える限りでは)も兼ね備えている点だ。

 

陸上選手としては珍しく華があり、その上に弁舌もあの爽やかさだから、ワタクシとしては珍しく殆ど欠点の見当たらない、大変に好感度の高い選手だった。スポーツオタクのワタクシにして、柔道のYAWARA選手とともに長年にわたって「神」のような、別格的な存在であった。

 

なんといっても、彼女の出現によって「マラソンって、こんなにも楽しいものだったのか?」というくらいに、それまでのマラソンの見方が根本的に変わったくらいであるから、彼女には感謝しなければならない。それまでのマラソンといえば、苦痛に歪んだ表情でゴール後には決まって倒れこんでいた増田明美(走る都はるみw)、或いは松野明美に代表されるように「マラソン=苦行」というイメージしかなかった。これが、高橋選手の出現によって「マラソンって、こんなにも楽しいものだったのか?」に180度変わったのだから、視聴者を巻き込んだ大きなパラダイムの転換を齎した。

 

本来なら、難行苦行であるはずの42.195kmを楽しく走るという姿勢は、高橋選手以降は今日まで数々の選手に受け継がれているのを見ても、後続のランナーたちに多大な影響を与えた事は間違いない。

 

高橋選手の戦略も、日本選手としては革新的だった。

 

<これまでの日本の女子マラソンは、有森裕子に代表されるように粘って走り、脱落してきたランナーを抜いていくスタイルが主流だった。バルセロナやアトランタなど、暑い中でのマラソンにはスピードより暑さに耐えられるスタイルが有効だった。ところが、高橋は粘りだけでなく勝負どころを読んで、鋭い切れ味あるスパートをかけるセンスと度胸があった>(これは現在、野口みずきに引き継がれている=某サイトから引用)

 

勿論、これは単に戦略というばかりでなく(巷間言われる通り、たとえ小出氏の戦略であろうとも)、それだけの実力に裏打ちされたものである事は、言うまでもない。全盛期の、あの髪を靡かせながら風を切って走る姿は、誰よりも輝いていて実に颯爽たるものであり、今でも強く脳裏に焼きついて離れない。素人目にも、ロスの少ない効率的な走りなどからも科学的な研究の成果が見られたし、レースの駆け引きなどにも随所に閃きが感じられるのも、また魅力であった。

 

ところで全盛期の高橋選手と言えば、かならず付いて廻るのが小出氏の存在だが、あのような下品で胡散臭い髭オヤジに興味がないワタクシは、小出が「名伯楽」という見方には一貫して同意したことがない。その証拠に高橋選手以降、小出門下から目覚しい成績を残した選手は、ほぼ皆無に等しいのである。

 

小出の指導が、たまたま高橋選手に上手く適合した点はあるかもしれないが、やはりあの輝かしい戦績は高橋選手自身の稀に見る才能と、たゆまぬ日々の努力の結晶であることに間違いがないのである。

 

「小出氏の元を離れてから、落ち目になった」という評価は、極めて近視眼的かつ皮相的な結果論に過ぎず、単に年齢的な限界や会見で語っていたような心労等が重なったのに過ぎない、と思っている。小出は「自分が指導していたら、まだ45年は出来た。まだまだ引退は早い」といったような戯言をほざいていたが、あんなオッサンの出る幕ではないのだ。

 

小出は、指導者の立場としてそう言うのだろうが、小出の元を離れて自力で羽ばたこうとしたのは高橋選手の決断であるし、指導者が選手の頑張りの結果を、自分の功績のようにトクトクと語って見せるのなどは、もっての外である。

 

本人も語っていたが、陸上だけではない今後の人生にとって、この経験は大きなプラスを齎したことだろう。そもそも「オリンピックや世界大会で、金メダルを取るためのサイボーグのような陸上人生」に疑問を感じての、決断だったのかもしれないのだ(高橋選手の功績を語る時に『あれは小出の指導だった』云々の話は、かなりの部分が後知恵的にでっち上げられたものだと、ワタクシはカネガネ疑っている)

 

立場の違うこの議論に解の出ようはずはないが、客観的に見てこれ以上の過剰な期待は酷であり、あのようなボロボロになった姿を見て「まだやれる」というのは、いかにも無情な要求であるとしか言えない。

 

なにしろこれだけ頑張ってきた選手も、珍しいのではないか?

これまで、長きに渡って大衆を楽しませてくれたのだから、これからは好きな事を存分に楽しんでもらいたいものだ。まかり間違っても、客寄せパンだとして三流政治屋の人気取りに踊らされるような事だけは、ない事を祈っている。

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