鳥見山は、榛原町と桜井市との境界に聳える標高734メートルの山で「トウベ山」とも呼ばれいます。この鳥見山の中腹には、縄文時代から弥生時代の遺跡が広がっており自然公園となっています。
「日本書記」神武天皇四年二月条には
「霊畤(まつりのにわ)を鳥見山の中に立てて、基地(そこ)を号(なづ)けて、上小野(かみつをの)の榛原(はりはら)・下小野(しもつをの)の榛原と曰(い)ふ。用(も)て皇祖天神(みおやのあまつかみ)を祭りたまふ」
とあります。
神話・伝説上の人物である神武天皇が、天地の神霊を祭る場所を鳥見山に築き、そこを上小野榛原・下小野榛原と名付けたとされています。この「榛原」が現在の町名の由来となっていますが、江戸時代以前は「萩原」(はいばら)とも書いていたようです。
榛原町を始め、宇陀地方は「古事記」、「日本書記」に度々登場し、古代から重要な地域であることを知ることができます。
萩原:榛原の語源は榛(はんばみ)すなわち、はんの木といわれ、繁茂する意味を持っている。はぎはらの名は、いずれにしてもこの地方の開拓者榛原公と判断するのが、妥当と思われる。
摂津皇別二十九氏の中に榛原公とあり、新撰姓氏録には榛原公息長直人同祖大山守命の後也とある。また、秋になれば紅葉が池周辺はもとより、付近一帯の野原に萩の花が咲き乱れました。萩の花が咲く野原を萩原と呼んだところから、とする説もあります。
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ポリネシア語による解釈
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
宇陀郡の北東部、宇陀山地の入り口にあたり、名張へ抜ける伊勢街道、高見峠から櫛田川上流へ抜ける本伊勢街道、柳生へ抜ける道、吉野へ抜ける道が交叉する交通の要衝です。この「はいばら」は「榛(はん)の木を伐って開いた場所」と解する説があります。
この「はいばら」は、マオリ語の「ハイプ・アラ」、HAIPU-ARA(haipu=place in a heap;ara=way,path)、「高い場所にある道路(が通る場所)」の転訛と解します。
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