※「ロッシーニの料理」より引用
「言い忘れましたが、コルク栓は使う前にブランデーで湿らせておくように。
「言い忘れましたが、コルク栓は使う前にブランデーで湿らせておくように。
理由は2つあります。第1に、ボトルの口をきちんと閉じるために栓を湿らせる必要があります。第2に、乾いた栓がワインに悪い味を移すのを防ぐためです。しばしばそれが原因で、ワインの質を落としてしまうのです」(父ジュゼッペ宛の手紙、1834年3月26日付より)
トリュフとフォアグラをこよなく愛し、料理の創作に情熱を注ぎ、世界各国の銘酒とともに美食三昧の日々を送ったロッシーニ。成功者の特権と言えばそれまでだが、少年期にボローニャの豚肉屋に寄宿させられ、肉屋の主人になるのが夢だったというから、やはり筋金入りの食通なのだ。
「ロッシーニが毎日20 枚ビフテキを平らげ、すごく太っている」
とスタンダールの書簡(1820年12月22日付)に書かれているから、ロッシーニは28歳の若さで周囲も驚く大食漢になっていた。ならば、同時代の有名作曲家は、どんな食生活を送っていたのだろう。ここで寄り道して、ベートーヴェンの食卓を覗いてみよう。
ベートーヴェンと親しくつき合い、寝起きを共にしたこともある指揮者イグナツ・フォン・ザイフリートによれば、楽聖の好物はパンをどろどろに煮たスープで、生卵を割り入れ、かき混ぜて食べていたという。
独身のベートーヴェンは、家政婦に料理をしてもらっていたが、癇癪を起こして追い出すこともしばしば。そんな時は自ら市場に出向き、値切りに値切って一番安い食材を仕入れ、嬉々として自炊した。
ある日、彼は
「料理という高貴な芸術に、素晴らしい知識を持つ証拠を見せてやろう」
と豪語して友人たちを招いたが、出てきた料理は
「宿屋の残飯を連想させるスープ」と「煙突で燻(いぶ)したような焼肉」だったという。
弟子のシンドラーによれば、ベートーヴェンはスープのほかにジャガイモを添えた焼き魚、仔牛肉、パルマ産チーズを添えたマカロニも好物だった。
酒は「オーフェン」というハンガリー・ワインを好んだが、普段は安い混合酒をがぶ飲みし、それが原因で腸を悪
くしたという。夕方ビールを1杯グッとやるのが好きとの証言もあるが、これではそこらのオヤジと変わらない。
食生活の点では、明らかに悪食のベートーヴェン。だが、彼は質実剛健なドイツ人気質の持ち主で、食に代表される現世的快楽よりも芸術的理想を追求するロマン主義的人間だったのである。
その対極にあるのが「食べ、歌い、恋する」快楽主義のラテン気質。その意味でも、ロッシーニとベートーヴェンは正反対の人間だった。
生卵を混ぜたパンのどろどろ煮スープが好物だったベートーヴェン。貧しかったから、と即断してはいけない。彼の住むウィーンは、ヨーロッパ屈指の食道楽と大食の都、肉の消費量も他の大都市の2~3倍に上り、一般市民も頻繁にレストランで食事をしていたのだ。
中産階級に属するベートーヴェンも、生活水準は中の上。それでも彼は、見かけの豊かさの背後にある精神の貧しさが我慢ならず
「食べ、飲み、お喋りをして歌い、下劣な音楽を鳴らす」
市民生活を心から軽蔑していた。
その不満は、ウィーンを席巻したロッシーニ作品にも向けられる。
「いまやロッシーニでなければ夜も日も明けぬ、ロッシーニ万歳の時代だ。腑抜けで下手なピアニストや歌手、駄作が横行するから本物の芸術が損なわれているのだ」
それでもベートーヴェンは、ロッシーニの音楽的才能、とりわけ喜歌劇におけるそれを高く評価していた。
1822年、ウィーンを訪れた30歳
のロッシーニにベートーヴェンが投げた次の言葉は、それを裏づける。
「ああロッシーニ!
あなたですね《セビリャの理髪師》の作曲者は。
おめでとう、あれは素晴らしいオペラ・ブッファだ。スコアを読んだが、実に愉快だった。イタリア歌劇が存在する限り、上演され続けるでしょう。あなたはオペラ・ブッファ以外のものを書いてはいけませんぞ。他の分野で成功しようと考えたら、それはあなたの天分を歪めることになります」
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