世界陸上ベルリン大会が終わった。最終日まで、個人種目でのメダルが「0」だった日本は、期待の女子マラソンでダークホースの尾崎選手が堂々「銀メダル」に輝いた。その直後、今度は「やり投げ」という、恐らくはワタクシも含めて誰もがあまり注目していなかった(?)地味な競技で、村上選手が素晴らしい遠投を披露して、同競技では五輪、世界選手権を通じて日本人初のメダルという快挙を演じた。それまで冷静な解説を続けていた、村上選手の師匠という解説者はメダル確定の瞬間に絶叫し、号泣している様子で言葉が出なかったようだった。
一方、男子マラソンは最初からあまり期待していなかったが、予想通り「メダルなし」に終わった。団体では3位ということだが、元々が個人競技のマラソンで団体メダルというのがおかしな話である上に、5人もエントリーして佐藤選手の6位入賞を最高に、39位や棄権した選手までもが一緒に表彰台に上がるというのは、それぞれが世界の頂点を極めた他の種目に表彰に比べ、甚だ違和感が付きまとった。それでなくとも有力選手の犇く女子はともかくとして、過去の実績などから見たらどう考えても全体で100人にも満たない人数の中で、男子のエントリー5人は多過ぎると思えて仕方がないのである。
一方の女子は、先に触れた尾崎選手の「銀」は立派の一語に尽きるし、7位入賞の加納選手も健闘したが、藤永選手は14位、そして最も期待された赤羽選手は31位で日本選手の中で最下位という「惨敗」に終わった。さらには昨年の北京五輪での野口みずきに続き、今度は渋井が現地入りしながら本番直前に欠場を決めるという大失態を犯し、さらには補欠選手も体調不良を理由に同行を辞退するという醜態を重ねた。
元々、五輪の代表3人に比べ5人は多過ぎると思うが、それはともかくとして代表に選ばれて現地入りまでしながら、直前に欠場というのは甚だ自覚に欠けるというのに、国際舞台で2度も続けてこのような失態を演じるとは、実に嘆かわしい悪しき前例を作ってしまったものである。また「補欠選手」というからには、代表選手に不測の事態があった場合に備えて常に万端の準備をしていなければならず、本来ならこのようなタナボタのケースをこそ、虎視眈々と狙っていなければならないはずなのに「調整不足」で同行すらしていないとは、まったくもって言語道断ではないか。そのような状態の選手を補欠に選んだ側にも、前回の教訓がまったく生かされておらず、大いに問題があるといわざるを得ないのである。
話はずれるが、折角世界の頂点を何度も極めた高橋が解説に出てきたのだから、あの都はるみ似のリタイア女王オバサンの猫撫で声の解説は、いい加減御免蒙りたかったのだが。
この大会は、100mと200mでともに驚異的な世界新をたたき出した、ジャマイカのボルトの一人舞台だった。世界記録の走りは確かに素晴らしいの一語に尽きるが、逆に言えば彼一人があまりに飛びぬけて早過ぎるために、レースとしての興味を削がれてしまったのは、なんとも皮肉なことである。また、繰り返し流される彼のオフザケのパフォーマンスを含めた言動が、次第に鬱陶しく感じてしまったのはワタクシだけかもしれないが、多分これはボルトがウザいというよりは、同じ映像ばかりを延々と繰り返しているTV局の知恵のなさが原因なのだろうと思う。
TV中継について言えば、かねてより何度も書いた内容と重複するが、ワケのわからぬ「スタジオ映像」が相変わらず邪魔でしょうがない。曲りなりにも「世界陸上」の中継なのだから、スタジオの無駄な中年コンビのド素人解説などを垂れ流している暇があるのなら、意味もなくカットしている他の競技を精々中継してくれよ、と言いたくなる。
世界のトップアスリートたちは、三流タレント風情なんぞよりは遥かに絵になるスターが揃っているのだから、手垢のついたタレント風情に依存するしか脳のないTV局は、足りない脳みそを使って無駄な構成を考える必要はまったくない。ただ漫然と競技を映し続けていた方がよほど視聴者のニーズに合っているし、それはTV中継の権利を獲って代表放送をしている立場にあるものが、本来果たさなければならない義務ではないのか。
スポンサー収入頼みのTVだから、視聴率の取れそうな人気の競技に偏るとしてもあまりにも度が過ぎていて、あれだけ毎日のように同じシーンばかり延々と垂れ流されては「歴史的快挙」の有り難味も随分と薄れてしまうというものである。
今回の大会では、女子短距離の福島選手などといった活きのいい若手も存在感をアピールしたが、過去にも繰り返されてきたように、世界レベルにならないうちからハイエナのようなマスゴミがアイドルタレントのように持て囃した挙句に、折角の才能の芽を摘んでしまわないことを強く願うばかりである。
話を競技に戻す。大雑把に言ってしまえば、そもそも黒人選手は他人種とは体の構造そのものが違うし、また日常的に狩りをして生計を立てているような人種との成長過程や生活環境の違いは、想像を絶するものだ。毎回メダルを量産しているアメリカなども、実質的には殆どがアフリカからの移民であるのは明らかで、純粋アメリカ人のメダルなどはゼロに等しい(そもそも「純粋アメリカ人」なるものは、この世に存在しないのだろうが)
イギリス、カナダしかり、かつての枢軸国側であるイタリアすらこうした舞台では黒人に頼っているのが現状で、元を辿っていけばメダル獲得者の大部分は南アフリカや象牙海岸辺りに集約されるのではないかと勝手に想像を巡らしている。メダル大国の中で純血主義を貫いているのはドイツとロシア及び周辺の東欧諸国くらいなもので、あとは植民地支配時代に黒人の奴隷を持たなかったアジアなどの弱小国である。そんな胡散臭い世界の中で、ほぼ純血主義を貫く日本は銀、銅ひとつずつでも立派なものだ。なにせ「世界の2番、3番」なのだから、これは凄いのである。
昨今「安っぽい国際化」が叫ばれて喧しいが、日本は欧米諸国を真似てメダルを量産するために「助っ人」を輸入する必要などはまったくないし、まともな日本人なら怪しげな薬などの違法な手段に頼ってまでメダルを欲するような人は殆どいないだろうから、これまで同様に潔く純血主義を貫いてもらいたい。たとえメダルは獲れなくとも、己の持てる実力のみを頼りに精一杯頑張っている日本人選手の姿を見て感動したり、文句を垂れているのがワタクシは好きなのであり(文句を言われる方は、迷惑千万な話だろうがw)、野生動物に近いような人体構造を持ったアフリカや黒人選手に伍して獲得したメダルの価値は尊いものである。
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