2010/06/15

サッカーW杯2010南アフリカ大会(1)


四年に一度の祭典・W杯サッカーが開幕した。

日本とは違い、サッカーの歴史の深い海外の多くの国々では、このW杯こそがオリンピックを凌ぐ「世界最大の祭典」と称されている事は、以前にも触れた通りである。その世界最高の舞台に登場した日本は、予選リーグ緒戦でカメルーンに勝利した。

 

個人的には、日本チームに肩入れする気持ちはまったくない。その理由は、日本に対する「愛国心」などといったものとはまったく関係がなく、ワタクシのサッカーに対する歴史に関わっている(その証拠に、過去に野球のWBCなど国際大会やオリンピックでの日本代表には、一貫して肩入れしてきている)

 

ワタクシのW杯観戦歴はサッカー少年時代からで、まだ「JリーグのJの字」すら存在しなかった頃からのものだ。今では信じられないような話だが、当時は「国民的スポーツ」と言われた野球の蔭に隠れて、ローカル局の深夜にひっそりと放送されていたのが、日本とはまったく無縁な「地球の裏側で行われていたサッカーW杯というお祭り」というのが一般認識であった。そんな当時から、熱心にTVに齧りつくようにして熱中していたワタクシからすれば、Jリーグが始まって日本が出場するようになってからようやく騒ぎ出したような「俄かファン風情」などとは「歴史が違う」のである。

 

そのようにして、世界最高レベルのサッカーのみを見続けて来たワタクシの目からすれば、W杯常連のヨーロッパや南米の強豪国の方が遥かに馴染みが深いのは当然で、それに比べれば俄仕立ての日本サッカーなどは、いつまで経っても「ヘタクソ」にしか見えない。Jリーグ発足後は、多くの選手が海外のクラブに移籍したり、代表チームも国際舞台の経験をかなり積んで、以前よりはマシになったとはいえ「まだまだ世界との差は大して縮まっていない」と見るのが妥当なのである。

 

なんと言っても、サッカーで致命的な「決定力の無さ」は日本の積年の宿痾とも言うべきであり、マスゴミなどは「日本は決定力不足」といった言い方を常套句にしているが、これは正しい日本語の使い方とはいえない。「足りていない」のではなく「元から存在していない」と言うのが正しい。これを「農耕民族と騎馬民族の違い」と言った具合に単純化するつもりはないが、実際にはそうした民族的な歴史や伝統、或いは土壌といったバックボーンに深く根ざした要素が大きいと、かねて(学生時代)より密かに思っている。

 

そんなワタクシだから、毎回同じ事を繰り返しているが「日本の決勝トーナメント進出」という儚い幻想などに、まったく拘りはない。唯一、日本が決勝トーナメントに進出した2002大会は、マトモな常識を備えた観戦者であればとうにお気づきの通り「ホームタウンディシジョン」などという次元を遥かに超越した「神風」が吹いた結果のもので、共催したK国の準決勝進出に至っては「W杯史に残る茶番」としか言いようがない(真面目な日本などとは違い、K国の常軌を逸した臆面もないインチキっぷりは、過去にも五輪その他で語り草になっているくらいに有名で、ムッソリーニの暗躍した第2回大会のイタリアに次ぐ「黒い躍進」であるw)。その意味で相手チームが不調だろうが、真っ向勝負での堂々たる文句のない今回の日本の勝利は、大きな「歴史の一歩」を刻んだと言える。

 

世界中が注目する「決勝トーナメント」の舞台は、真に強くて巧いチームによって繰り広げられるものであって、そもそも予選のグループリーグなんぞは金儲けのためのオマケに過ぎない。したがってワタクシの中には、ただただ巧いチームや強いチームによる「世界最高レベルのサッカーが観たい」という、純粋サッカーファンとしての欲求あるのみなのだ。

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