2013/10/16

四国と隠岐島

四国

日本は6,852の島で構成される島国であるが、日本最古の歴史書 『古事記』 (712年献上) では「日本」を「大八島国」(おおやしまのくに)と呼び「八つの島」の総称としている(登場順に現代の呼称表記で、淡路、四国、隠岐(おき)、九州、壱岐(いき)、対馬(つしま)、佐渡、本州)。この中で2番目に登場する「四国」の原文での呼称表記は「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」である。

 

『日本書紀』(720年完成)では「日本」を「大八洲国」(おおやしまのくに)、「四国」を「伊予二名洲(いよのふたなのしま)」と表記している。よって、古代においては「伊予之二名島」、「伊予二名洲」、または単に「伊予島」、「伊予洲」(いよのしま、いよしま)、「二名島」、「二名洲」(ふたなのしま、ふたなしま)」などと呼ばれた(「フタナ」は二並びの意)

 

近世以降は五畿七道の南海道のうち、紀伊国と淡路国を除いた阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの令制国が存在したことから「四国」と呼ばれた。歴史書ではないが、16世紀の戦国時代を描いた軍記物語として知られる「陰徳太平記」(1717年出版)序に「山陰山陽四国九州」の記載があり、このような近世の書物において、明確に「四国」という名称を見出すことができる。

 

隠岐島

隠岐島は『古事記』、『日本書紀』に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)2神が4番目にお生みになった土地で「隠岐の三子洲(みつこしま)」と書かれている。「隠岐の三子洲」とは、島後(どうご)が親島で、島前(どうぜん)の知夫里島、西ノ島、中ノ島が子島であって、親島に率いられた三つの子島の意味であるという。

 

『記紀』には隠岐の地名由来は書かれていないが、喜田貞吉博士によると島前3島に対して、島後は沖の島と呼ばれていて、島前、島後の四つの島の総称として、主島である沖の島の名をとって「オキの島」と呼称されるようになったという。別に伝承として、天照大御神が、この島の40余丈もある木をごらんになって「美しき御木だ」といわれたことから「御木(おき)」とついた、とも語り伝えられている。

 

島後が島前の三つの島より沖合にあるため沖の島と呼ばれ、それに天照大神の「御木」の伝承が付加され、ついで島全体の名称として沖の島が呼び名となったのだろう。しかし、なぜ「隠岐」の字をあてるようになったか定かではない。

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