2回戦の対戦相手は、1回戦を延長12回の末、岡山東商を1-0で破った銚子商業に決まった。銚子商業のエースは、背番号10を付けた2年生の土屋正勝である。この銚子商業は、斉藤一之監督以下、全選手が一丸となって「打倒・江川」を目指し、ありとあらゆる手を尽くしていた。
話は、1972年秋の関東大会に遡る。同大会の準決勝で銚子商業は作新と対戦、江川に20奪三振を喫し屈辱的な敗北を喫していた。おまけに、その関東大会で上位に進出したという事で出場した1973年春の選抜では、銚子商業は初戦で報徳学園に0-16と惨敗してしまった。
屈辱にまみれた銚子商業は
「江川を倒さなければ、この屈辱は晴らせない」
とばかりに、徹底した江川対策を研究し「打倒・江川」だけを目指して猛練習を続けた。
まず銚子商業は、江川が投げる試合に必ず偵察要員を派遣し、江川のフォームを研究し尽くした。その結果、江川のフォームにはストレートの時とカーブの時とでは、微妙に異なる癖が有る事を発見した。その癖を見抜くと、斉藤監督は打者に江川のカーブを全て捨てさせた。江川のストレートの威力が凄まじいのは言うまでもないが、カーブもまた超一級品であった。打者の頭部付近に来たと思われた球が、外角へ鋭く曲がり落ちて空振りを誘う。
江川の球種はストレートとカーブしかなかったが、そのどちらもが超一級品だったため、打者としては打てる筈が無かった。そこで斉藤監督は、カーブが来るとわかれば打者にそのカーブがストライクだろうとボールだろうと全て無視させ、ストレートだけを狙わせた。そして銚子商業の各打者はヘルメットを目深に被り、ヘルメットの庇から上に来た球は全て見逃す、という作戦を取る事とした。江川の高目のストレートは、ボールだとわかっていても打者がその威力に釣られて振ってしまうという事が多かったのだが、
その高目の球を全部捨てるという事である。更にバッティング練習の際には、打撃投手にマウンドのかなり前の方から投げさせて、打者を速い球に慣れさせるという練習も行った。
そして、銚子商業は作新に二度も練習試合を申し込んだ。その練習試合は、銚子商業は二度とも作新に敗れたのだが、1973年4月の対戦では13三振、1973年5月の対戦では9三振と、前年秋の関東大会での20三振の時から比べると、格段の進歩がみられた。つまり銚子商業の打者達は、徐々に江川の球に目が慣れて行ったのであった。
もう一つ、銚子商業は
「江川は晴天で暑い試合だとバテる」
「江川は雨の試合に弱い」
というデータも掴んだ。このようにして江川を倒すため、銚子商業は考えられる限りありとあらゆる手段を使っていた。当時、日本で一番「打倒・江川」への執念を燃やしていたのは、間違いなく、この銚子商業であった。
その銚子商業は、いよいよ江川を倒すべく、1973年夏の甲子園の2回戦で江川の作新学院に挑む事となった。この試合、江川は立ち上がりから調子が悪く、毎回ピンチの連続。銚子商業は作戦通りカーブを捨てて、外角のストレート一本に絞っていた。
銚子商業は江川を倒すために、あらゆる手を尽くしてきている。そして江川も、決して本調子ではない。しかし、それでもなかなか打てないのが江川であった。銚子商業は江川をなかなか捉える事が出来ず、凡打の山を築いて行った。
だが江川は
「この日の銚子商業は、今までとは全く違い非常に強くなっている」
という印象を抱いていたという。江川としても銚子商業に対し、非常に嫌な気持ちを抱いたまま投球を続けていた。江川は走者として出塁した際に、銚子商業の一塁手・岩井に対し
「何か、今日の銚子はいつもと違うな。俺、今日は負けるかもな」
という言葉を漏らしていたという。
そして7回裏、銚子商業は木川と青野の連打が飛び出し、1死2、3塁のチャンスを掴んだ。ここで迎える打者は7番の磯村だったが、銚子商業はスクイズではなく強攻策を取った。しかし磯村は江川の剛速球に押され、サードフライに倒れた。これで2アウトで、ランナーはなおも2塁、3塁。続く打者は銚子商のエース・土屋だったが、江川は土屋をストレートで空振に仕留めこのピンチを脱した。ピンチになればなるほど、エンジンを全開にするのが江川の持ち味であったが、この場面でも江川はその持ち味を遺憾なく発揮したのであった。
一方、土屋もまた、江川を相手にして一歩も引かず、作新に対して得点を許さなかった。土屋は
「江川さんに勝つには、こっちも作新を0点に抑え続けるしかない」
と覚悟を決め、延長18回まで投げ続けるという悲壮な決意をしていたのだった。
こうして江川と土屋の互角の投げ合いは続き、試合は0-0のまま延長戦へと突入する。この試合は途中から雨が降り出していたが、延長戦へと入る頃、その雨はますます激しさを増していた。銚子商業は、この雨を「恵みの雨」と捉えていた。あの「江川は雨の試合に弱い」というデータが、銚子商業の選手達の頭の中には、しっかりと入っていたからである。
一方、江川は初戦の柳川商戦に続いての延長戦突入という事に加え、この雨に対して、やはり非常に嫌な気持ちを持っていた。
「ここで試合が打ち切りになったら、また明日(再試合で)投げなきゃいけないのか」
というような、ウンザリした気持ちにまでなっていたという。江川と銚子商業の、試合に対するモチベーションの差は明らかであった。
こうして試合の形勢は、徐々に銚子商業へと傾いて行き、迎えた延長11回裏。江川は1アウト満塁の絶対絶命のピンチに陥り、降りしきる雨の中、球道が定まらずにカウント2-3にしてしまった。
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