2014/02/13

冬季オリンピックの隔靴掻痒

冬季オリンピックの競技は、わかり難い。わかり難い原因は「採点競技」が多いことに起因する。

 

女子モーグルにおける「採点疑惑」がネットで盛り上がっていたが、正直「またか」という感じで、まったく今に始まったことではない。忘れもしない前回オリンピックのフィギュアスケートでは、どこからどう見ても負けている要素は爪の先ほどなかった浅田選手が、三流インチキ国の穢い工作に泣かされたことは記憶に新しい。さらに遡れば、他を圧倒する実力を持ちながら、欧米選手と比べ外見で損をしていた(?)伊藤選手なども、散々に煮え湯を飲まされ続けたクチであった。

 

再度確認すべきは、所詮「オリンピックは白人の祭典」ということだ。オリンピックが「人種の壁を超えた平和の祭典」などはデタラメもいいところで、オリンピックこそは「人種差別の坩堝」であることは歴史が証明している。だから「ウィンタースポーツの華」とも言えるスキーで、欧米人が日本人などの有色人種に負けることは「あってはならないこと」であり、それは「何かの間違いに違いない」というのがヤツらの論法だ。 そこから「こんな結果になるのは、ルールがおかしいからだ!」という無茶苦茶な結論を導き出して、自分たちが有利になるようなルール変更をするのが、ヤツらの常套手段なのである。敗戦を肥しとして研鑽に励む日本人とは、どだい根本から発想が違うのだから、ヤツらに「スポーツマンシップなるお題目」を期待してはならない。

 

こんな胡散臭い連中にとって「採点競技」ほどオイシイものはない。何しろ基準が曖昧なのだから、操作のし放題である。一応、採点基準らしきものは形ばかりは存在するとは言え、最終的に審査員の「主観」がものを言うのが「採点競技」の帰結であり、説明責任も一切ない審査員の殆どは白人種である。言うまでもなく「日本人と他のアジア人」といった関係とは違い、白人同士はまあ親戚のようなものだから、自国の選手がダメでも(せめて有色人種ではなく、白人が勝つべきだ!)という根強い固定観念(というより妄想?)に基づく強固な意志が、絶対に働いているハズなのである。

 

一例を挙げるならジャンプの「飛型点」というのも、よくわからないルールだ。「jump」というからには、高さなり距離なりで「ジャンプ力」を競うのが本質ではないのか?

そこへ「飛型点」などというわけの解らない要素が出て来て、これが採点の中の結構なウェイトを占めた。これによって、たとえ飛んだ距離は負けていても「飛型が素晴らしい」ということで「金」が獲れるという、甚だ「便利な救済措置」が完成したのである。

 

勿論、この「飛型点」なるものは、審査員によって得点が付けられるのだが「飛型の美しさ」などは観る人によって異なるものだから、いかに理屈をこね回そうとも結局のところ「主観」に過ぎぬ。その「美しさの主観」は、あくまで「白人種のモノサシ」によるものだから、自分たちより劣っていると信じ込んでいる「有色人種の飛型」(という先入観だけで)が美しく映る道理がない。原点に還れば、最も重要なのは「一番たくさん飛んだヤツが偉い」ハズで「飛型の美醜」などを他人が評価するのは、まことに「大きなお世話」としか言いようがない。競技というのはシンプルなほど面白いはずだが、このようにわざわざ複雑にしたがるのは、要するに誤魔化しや工作の余地を作ろうとの下心の成せる業に過ぎぬ。

 

陸上競技の「Long-Jump(走り幅跳び)」や「High-Jump(走り高跳び)」には「飛型」などというわけの解らないルールはない。それこそ単純に「一番たくさん(或いは「高く」)飛んだヤツ」こそが文句のない勝者であって、そこに「飛型の美醜」など入る余地はない。実際、どんな競技にせよ、それなりに理に適ったフォームでなければ好記録など出るわけもないから「飛型点」などというインチキ臭い代物は、無用の長物としか言いようがないのである。そうはいっても、さすがに尻餅を着く様な着地はどうかという意見もあろうから、ともかくぐらつこうがなんだろうが「足で着地すれば良い」などとすべきである(足で着地できる程度なら、それほど危険な飛型ではないはずだ)

 

余談ながら、かつてスキーのジャンプの起源について「ジャンプが、他のどのスポーツ競技と比較してもあまりにも恐怖感を伴うものであったため、重刑囚がこのジャンプをクリアできれば、その刑を軽減される」という面白い説があったが、これはあくまで俗説らしい。そこへいくと、スピードスケートはシンプルでわかりやすく、陸上のトラック種目同様「速い者が勝つ!」というシンプルさが素晴らしく、これならインチキの蔓延る余地は殆どない。

 

もっとも陸上競技のように、みんなが一斉に走って順位を争うような「ガチな勝負」ではなく、2人ずつで走り待ち時間が長いところは隔靴掻痒ではある。最終組でトップのタイムを出して優勝するのはまだしもサマになるが、走り終わった選手が後の選手のタイムを確認してガッツポーズをしているのは、なんとも滑稽味を感じる。滑稽といえば、スタートの時に選手が見せる歌舞伎の元禄見得のようなあの大仰な構えは、一体なんなんだ? (*^m^*)ぶはは

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