2014/03/18

対馬と壱岐島

出典https://chiebukuro.yahoo.co.jp/user/12616193

 

対馬

『魏志倭人伝』に於ける「対海国」ですが、本来は「対」の旧字「對海国」と記されています。「対海国」という表記は、この『魏志倭人伝』にしか見えず『古事記』の国生みの条では「津島(つしま)」、『日本書紀』には「対馬」とあります。『魏志倭人伝』の記述で、韓土から海を渡り最も近い倭の島てあるので「対海国」=「津島」=「対馬」と考えて間違いないでしょう。

 

それでは、何故「対海国」と表記されていたのか?

これを単なる誤記と解釈した先人も多いようですが、おそらく「対馬」より「津島」、「津島」より「対海」のほうが古い国名であったと考えると、朝鮮半島からも壱岐島からも約50kmの距離がある二島を主とした群島であるこの島を《海に対面している島》として古代の島民は「対海」と名付け、倭人伝を記した使者の立場からも《海を隔てて大陸と対面している島》という解釈で「対海国」と記したものと考えられます。

 

「津島」、「対馬」の由来としては「津のある島」、焼津、大津、唐津などに見られるように「津」とは港の意です。「上縣(北方の島)と下縣(南方の島)の二島が相対する島」とも考えられています。古代からの「対」の文字が生きていて「津島」が「対島」に、これが「ついしま」→「ついま」と読みが変化し「ついま」の読みに「対馬」の文字が当てられ、最終的に「対馬」を「つしま」と読むようになったと考えるのが、最も自然な流れでしょう。

 

壱岐

「壱岐国」は、古代においては「壱」の同意字である「一」、「岐」と字意と音が似ている「支」が用いられ「一支国」と記されていました。この「支」を「大」と誤記したという先人の解釈は、古代の筆記体が近似していたことから納得できますが、これも誤記ではなく「倭」を「委」と同字として「イ」と読み、「一(イ/ヒ)」を当てて「一国」=「倭国」。更に《一国のうちの海洋上の最も大きな国》=「一大国」とする説もありますが、若干無理な感が否めません。

 

壱岐」は『古事記』や『日本書紀』には「伊伎」、「以祇」、「壱岐」、『続日本記』や『延喜式』、『和名抄』には「壱岐」、『万葉集』には「由吉能之麻(ゆきのしま)」と記されていることから、古代「イキ」と「ユキ」の二通りの発音があったようです。「行く」を(いく)とも(ゆく)とも読むことからも分るように、昔は「イ」音と「ユ」音は現在よりも曖昧だったようです。

 

地名の由来としては、貝原益軒は「玄界灘の海が荒く、波飛沫が雪のように打ちつけることから「ユキ」と呼ばれた」と解釈していますが、他に

 

・「雪の浜」と呼ばれた白浜があったことから

・《沖に浮かぶ島》であることから「オキ」が「イキ」に転訛した

・鯨が多いことから、鯨の異名「いさな」が来ると書いた

・「鯨来」を(いさき)を読み、これが縮まった。

・九州から船出して停泊できる港がある島であることから

・《一息つく島》を「息の島」とした

 

など諸説あるようで、確たる説論は未だ分っていないようです。

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