神代一之巻【天地初發の段】 本居宣長訳(一部、編集)
○別天神(ことあまつかみ)「別」は「こと」と読む。その理由は、書紀に幾つも伝承を挙げた中に、多くは国之常立神を最初の神に挙げ、この五柱の天つ神を挙げないのは、この国に生まれた神ばかり伝承して、天上の神を別の神として省いているからである。【なぜかと言えば、書紀は始めは高御産巣日の神を挙げないで、ある一書の中で初めて挙げている。この神がないとして、始めに挙げなかったのなら後でも挙げないのが当然だが、一書の中で登場しているのだから、省いたと見るべきではないか。】
また一書に、始めに国之常立の神を挙げ、次に「また曰く」として天上の神々を挙げているのも、天神を別の神としているのである。【天上神を先に挙げず、後になって挙げるのは、別の神としているからだ。「又曰」は「一曰」とは違い、異説ではない。同じ書の中に、また別にこうも書いてあるということだ。】だから「別」というのもその意味であり、天上の神々を別の神として分けたのである。【天照大御神以下の神たちも、天上なら天つ神のはずだけれども、この五柱の神は天地の始めに生まれ、その天神たちとは等しくなく違う性格の神だからこう言うのかとも思われるが、上記の意味と解すべきである。なお師は「別」の字を「ことごとに」と読んだが、それは良くない。また「わけ」と読むのも良くない。
○先代旧事紀には「別天八下の尊」、「別高皇産霊尊」などと言い、その「別」の意味はここで言う「別」と似ているようだが「別某の神」という名は古い書物にその例がない。何を根拠にしたのか分からないが、旧事紀は真書ではないので信頼しがたい。】
「天神」は「あまつカミ」と読む。文武紀の詔の言葉に「天都神」、聖武紀の歌に「阿麻豆可未」、大祓え(祝詞)の言葉に「天津神」などとあるのが証拠だ。
【それを最近は「天神地祇」と並べて言うときにのみ「あまつかみ」と言い、その他の場合は「あめのかみ」などと読むのは間違いだ。いずれも「あまつかみ」と読むべきである。「あめのかみ」と言った例は、いにしえにはない。ここに挙げた例も、地祇と並べて言っているのではない。ただ、この記においては「あまつ」というところでは「津」の字を加えることが多いが、いにしえは「天神」と書き慣れており、それを「あまつかみ」と読むことは当時は誰でも知っていたので、ここでは「津」を書き加えなかったのである。】
ここで「高天の原になりませる神」というのは、この五柱全部に対して言っている。このように「天神」とあるので分かる。ここで特にことわっているのは、次の国之常立神以下の七代の神は天神とは言わないことも理解すべきだ。
このことは、下【神世七代】で詳しく述べる。
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