ベジタリアン料理としての現代の精進料理
海外からの外国人観光客や日本に滞在する外国人の中にはヴィーガンやベジタリアンも多いが、精進料理は日本では高価な料理であることが多いこと、一般の日本料理では肉や魚が使用されていないように見えても、出汁に動物性材料を使っていることがあることなどから、ベジタリアン向けの、より気軽に低価格で毎日楽しめる精進料理も生まれてきている。しかし、これらは精進料理という名前こそ付いてはいるが、仏教的な意味は薄れてしまっている。
また近年では、アメリカを中心にグルテンの摂取を控えるブームがあり、それに対応して麸を使わないなどグルテンフリーを謳った精進料理も見られる。
献立例
図は京都にある臨済宗の禅寺・天龍寺の精進料理である。朱塗りの折敷は、臨済宗天龍寺派において、来客をもてなす際の正式のものである。
御飯
汁(白味噌)
平(湯葉、麩、椎茸の炊き合わせ)
木皿(胡麻豆腐)
木皿(紅葉麩、こんにゃく、栗、ごぼうなどの盛り合わせ)
壺(しめじと青菜のおひたし)
香の物
普茶料理
普茶料理は、江戸時代初期に中国から日本へもたらされた料理で、日本の精進料理とは異なり葛と植物油を多く使った濃厚な味、一つの卓を4人で囲む形式が特徴である。代表的な普茶料理に胡麻豆腐、精進うなぎがある。
江戸時代初期の1654年、中国(現在の福建省)の禅僧隠元隆琦が来日。1661年には山城国宇治(京都府宇治市)に萬福寺を開き、禅宗の一つである黄檗宗の開祖となった。
隠元はチャイナ式の禅文化を日本に伝えるとともに、インゲンマメ、孟宗竹、スイカ、レンコンなど、様々な品を日本へ齎した。その時に一緒に伝わった、当時の「素菜」(スーツァイ、いわゆるチャイナ式の精進料理)を「普茶料理」という。
「普茶」とは「普(あまね)く衆人に茶を施す」という意味であり、法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、煎茶などを飲みながら重要事項を協議する「茶礼」に出された食事が原型となっている。基本的に一つの長方形の座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が非常に珍しがられた。
料理においてもチャイナ風のものが多く、巻繊(野菜や乾物の煮物や餡かけ)、油糍(下味をつけた野菜などを唐揚げにしたもの)や雲片(野菜の切れ端を炒め、葛寄せにしたもの)、擬製料理(肉や魚に擬した「もどき」料理。麻腐、すなわち胡麻豆腐も白身魚の刺身に擬した「もどき」料理である)などがある。炒めや揚げといったチャイナ風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めた。
こうした普茶料理は、異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など民間でも広く嗜まれた。特に民間で行われた普茶料理は、長崎の卓袱料理とも影響し合い、テーブルクロスや貴重なガラス製のワイングラスや水差し、洋食器が用いられる事もしばしばあった。
1772年には『普茶料理抄』という専門の料理書も著された。料理は次第に変化していき、見た目が鮮やかな独特のものとなっている。黄檗宗の開祖・隠元隆琦ゆかりの京都府宇治市の萬福寺などの黄檗系寺院や、その周辺で供されるほか興福寺がある長崎市には、普茶料理が食べられる寺院がある。また普茶料理専門の飲食店は、神戸市や東京都などにもある。
比較対象となりやすい卓袱料理が、現在は長崎県の郷土料理に留まるのに対し、普茶料理は各地の黄檗宗の寺院を中心に、沖縄や北海道を除く全国に普及しているのが特徴である。
画像は、京都府宇治市の白雲庵の普茶料理(4人前)である。白雲庵は、もと黄檗山萬福寺の塔頭であった。
画像中央の大皿は「笋羹」(シュンカン、煮野菜の盛り合わせ)、その左は「果菜」(クォツァイ、果物)、以下時計回りに「行堂」(ヒンタン、御飯用の手付桶)、「醃菜」(エンツァイ、香の物)、干菓子、「油糍」(「油𩝐」とも書く。ユジ、野菜の揚げ物)、「雲片」(ウンペン、細切り野菜の葛とじ)。手前には「澄汁」(スメ、蘭茶)、「冷拌」(ロンパン、和え物)、「麻腐」(マフ、胡麻豆腐)。[要出典]
出典 Wikipedia
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