ヒンドゥー教(ヒンドゥーきょう、ヒンディー語: हिन्दू धर्म、サンスクリット語: सनातन धर्म)、慣用表記でヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教、またはインド的伝統を指す。西欧で作られた用語である。
英語のHinduは、現在ではまずイスラム教徒との対比において用いられるのが一般的で、イスラム教徒以外で小宗派を除いた、インドで5億人を超えるような多数派であるインド的な複数の有神教宗派の教徒の総称である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。
同じく「ヒンドゥー教」と訳される英語のHinduismは、最も広い意味・用法ではインドにあり、また、かつてあったもの一切が含まれ、インダス文明まで遡るものである。一般的には、アーリア民族のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統を指す。西洋では、このうち仏教以前に存在した宗教をバラモン教(英:Brahmanism)、特にヴェーダ時代の宗教思想をヴェーダの宗教(英:Vedic
Religin)と呼んだ。これらは日本の漢訳仏典の婆羅門教(ばらもん教)に当たる。
ヒンドゥー教の狭い意味での用法は、仏教興隆以後、発達して有力になったもので、特に中世・近世以後の大衆宗教運動としてのシヴァ教徒・ヴィシュヌ教徒などの有神的民衆宗教を意識しての呼び方であることが多い。
語源と名称
「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する sindhu に対応するペルシア語。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられ、西欧に伝わり、インドに逆輸入され定着した。(同じ語が、ギリシアを経由して西欧に伝わって
India となり、こちらもインドに逆輸入されて定着した。漢訳では玄奘による「印度」が定着している。)
インド植民地時代に、大英帝国側がインド土着の民族宗教を包括的に示す名称として採用したことから、この呼称が広まった。日本では慣用表記ではヒンズー教、一般的にはヒンドゥー教と呼ばれるが、時にインド教と呼ばれることもある。中国、韓国でも「印度教」と呼ばれるが、現在のインドは世俗国家であり国教はなく、インドでこのように呼ばれたことはない。
ヒンドゥー教の特徴
インドラ
狭い意味でのヒンドゥー教は、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら、徐々に形成されてきた多神教である。紀元前2000年頃、アーリア人がイランからインド北西部に侵入した。彼らは、前1500年頃にヴェーダを成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。
紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られた。その結果、バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化して、ヒンドゥー教へと変化して行く。(バラモン教も、ヒンドゥー教に含む考えもある。)
ヒンドゥー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。その後インドの民族宗教として、民衆に信仰され続けてきた。
神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制等を特徴とする宗教である。
三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわち
ブラフマー:宇宙の創造を司る神
ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神
シヴァ:宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神
は一体を成すとされている。 しかし現在では、ブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され、多くの信者がいる。ヴィシュヌ神を信仰する派をヴィシュヌ教、またシヴァ神を信仰する派をシヴァ教と呼ぶ。
ヒンドゥー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、日本の仏教に影響を与えている。以下に、ヒンドゥー教の特徴を解説する。
ヒンドゥー教の範囲
狭義のヒンドゥー教は多神教であり、また地域や所属する集団によって非常に多様な信仰形態をとる。狭義でも、ヒンドゥー教の範囲は非常に曖昧である。インド国内の広義の定義においては、キリスト教やイスラム教などインド以外の地域で発祥した特定宗教以外の全ての宗教が相当する。一例として、インドにおいて仏教はヒンドゥー教の一派とされる。インド憲法25条では、(ヒンドゥー教から分派したと考えられる)シク教、ジャイナ教、仏教を信仰する人も広義のヒンドゥーとして扱われている。
出典Wikipedia
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