自然の階段……形相の実現度合に応じて、世界の個物を序越づけたもの
目的論的自然観……世界のあらゆるものは、形相の実現という目的に向かって運動するという自然観
さて、ここまでの議論が、アリストテレスの自然観・宇宙観と結びついてくる。
アリストテレスは、すべての個物は、自らが持つ形相の実現に向けて運動していると述べる。そして、その形相の実現度合に応じて、世界の個物の階層が決まるのだと述べる。これが「自然の階段」である。
先ほどの例で、考えてみよう。ただの木材は可能態であるが、家を建てるために使われた木材は完全現実態である。この時、形相の実現度合が高いのは後者であり、後者の方が世界において上位の階層にある。
次に、家を建てるために使われた木材と人間を比べてみる。先ほどは、「家」が形相であり、木材はその質料であった。
しかし、人間の立場に立って考えてみよう。人間にとって、家を建てること自体が目的なのではなく、何か目的があって家を建てるはずである(住む、売るetc.)。この場合、「住む」「売る」などが形相、家は質料であり、「住む」「売る」は家よりも上位にある。
アリストテレスは、上位の階層にあるものは下位にあるものの形相であり、下位のものは上位のものの質料であるという、世界の階層を考えた。このような自然観を「目的論的自然観」「目的論的宇宙観」などという。
不動の動者
このように考えると、人間の形相・質料とは何か、という疑問がわいてくる。人間の形相は魂であり、肉体は質料である。しかし、人間の魂を質料とするようなものが存在するに違いない。アリストテレスは、それは「不動の動者」だという。
「不動の動者」とは分かりにくい概念だが、「神」のことだと考えると分かりやすいだろう。「不動の動者」には、「自らは他のものに動かされることはなく、他のものを動かす」というニュアンスがある。
それよりも上位のものがいないため、質料として使われることはなく(不動)、形相としてのみ存在する(純粋形相)。そして、最初から形相が実現されているのだから、「完全現実態」である(動者)。
アリストテレスによれば、この「不動の動者」こそは純粋形相であり、それ自体で求められる「最高善」であるという。この議論は、後の倫理学に関わってくる。
なお、この「不動の動者」という概念は、キリスト教的な唯一神として読み替えられ、中世のスコラ哲学において議論された。
倫理学
知性的徳……思考に関わる徳。教育によって獲得される。
習性的(倫理的)徳……人柄に関わる徳。習性や行動によって獲得される。
次に、アリストテレスの倫理学について説明する。『ニコマコス倫理学』における議論である。
アリストテレスは『二コマコス倫理学』の冒頭で、人間の生きる目的とは幸福であることであり、そのためには「徳(アレテー)」が重要だと述べる。
では「徳」とは何か?
アリストテレスは、徳を「知性的徳」「習性的徳」に分けて説明する(なお、後者は「倫理的徳」と呼ぶこともあるが、本稿では「習性的徳」と表記する)。
この二つは違いが分かりにくいが、次のように考えると分かりやすいかもしれない。習性的徳というのは、一般的な「道徳的な徳」である。一方、知性的徳というのは、正しい判断ができるとか理性的であるとかいった、正しい思考をすることができる「徳」である。人柄は良いのだが頭が悪い人は、習性的徳はあるが知性的徳はない、といえるだろう。知性的徳はアリストテレスの倫理学に、習性的徳は政治学に関わってくる。
知性的徳
知性的徳については、「観想(テオリア)」が必要だと述べている。「観想」とは、学問区分でも少し述べたが、真理を発見する理性的な態度であり、そのような生活(観想的生活)をすることが幸福だと述べている。
なぜそれが「幸福」なのか?
ここで、「不動の動者」を思い出していただきたい。
「不動の動者」は、それ自体が形相なのであった。人間においても、何かの目的のために行動するよりも、真理を発見すること自体を目的に生活することが、「不動の動者」に近いことであり、「最高善」なのである。
習性的徳
習性的徳については、「中庸(メソテース)」であることが必要だと述べた。例えば、勇気とは蛮勇と臆病の中間にある時に「徳」となる。蛮勇寄りであっても、臆病寄りであってもいけない。
勘違いされやすいが、中庸とは「中途半端」という意味ではない。過不足のないちょうどよい徳、という意味である。
政治学
次に、アリストテレスの政治学について説明しよう。
前述したように、人間の目的とは幸福であり、それは最高善である。アリストテレスは、最高善が国家という共同体において実現されると考えた。
アリストテレスは、国家の形態を「王制」「貴族制」「民主制」に分類する。そして、この三つの堕落形態として、「僭主制」「寡頭制」「衆愚制」を考えた。彼によれば、王制→僭主制→貴族制→……→民主制→衆愚制→王制と、国家の形態は堕落と革命が繰り返され、循環するのである。
国家においては様々な層が存在するが、それぞれの層が、前述した「中庸」を持つことによって、国家が上手く運動すると述べている。例えば、貴族は支配、奴隷は服従、といった中庸である。
文学
最後に、アリストテレスの文学観について説明しよう。
アリストテレスは芸術の中でも詩学を重視しており、『詩学』という本を書いている。これによれば、芸術の基本は「模倣(ミメーシス)」である。例えば、文学は自然や世界を模倣する芸術である。
なお、アリストテレスは悲劇を叙事詩や喜劇よりも上位にあるものと見ており、文学の最高形態だと述べている。人間は、悲劇を見ることによって「浄化(カタルシス)」を味わうことができると述べている。
後世への影響
プラトンと同様、西洋思想に甚大な影響を及ぼした哲学者である。哲学に限っても、中世スコラ哲学ではアリストテレスが教科書とされていたし、アリストテレス研究を行った哲学者は、イブン・シーナー(アヴィセンナ)・イブン・ルシュド(アヴェロエス)・トマス・アクィナス・デカルト・カント・ヘーゲル・ハイデッガー……と、挙げればきりがない。
また、政治学・倫理学・文学・動物学・天文学……と、あらゆる思想においてアリストテレスの影響があるといっても過言ではない。
一方で、アリストテレスの誤った学説が広まってしまったという弊害もある。例えば、アリストテレスの四元素説は、デモクリトスの原子論の代わりに長らく支配的であったし、天動説はコペルニクスやガリレオの地動説を否定するほどに支配的であった。
語録
「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」(『形而上学』)
「すべての人間は、政治的(ポリス的)動物である」(『政治学』)
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