それは、
宗教は『信じること』を前提としているが、哲学は『疑うこと』を前提としている
というところだ。
つまり、宗教とは、基本的に『信の道』であり、哲学とは、基本的に『疑の道』である。
たとえば宗教では、教祖が作った教義を『疑う』ということはありえない。
宗教において、
「なんか教祖様の教義のこの部分って、おかしくね?
俺は、ここはこうした方が良いと思うんだけど……」
なんてことを弟子が言い出すことはありえない。
教祖の教義は完璧であり、弟子たちは、ただただそれを信じる。
「教祖を信じること」「教祖の教えを守り続けること」、それが弟子の役目である。
一方、哲学では、師匠が作った哲学体系を『信じる』ということはありえない。
もちろん、志なかばで倒れた師匠の哲学を受け継ぎ、哲学体系を完成させるのは、弟子の役目ではあるとしても、もし師匠が「完璧な哲学体系」を作ってしまった場合には、それを『疑って叩き壊す』のは弟子の役目である。
ここが哲学の面白いところで、どんなに偉大な師匠が言ったことだろうと、どんなに論理的でビューティフルな体系であろうと、その哲学が、完成の域に達しており、これ以上、思索を進めようがないところまで突き詰められたものであるならば、弟子たちは、あっさりとそれを疑問視し、無理やりにでも問題点を探して、新しい可能性を探そうとする。
哲学者の弟子は、偉大な師匠が作った偉大な哲学体系を崇めたり、布教して世間に広めたりということは決してしない。
むしろ、師匠の哲学体系に反逆し、徹底的に批判して、完膚なきまで叩き潰して、師匠の哲学を乗り越えようとする。
プラトンのイデア論は、すでに完成の域に達しており、とてもビューティフルな哲学体系であった。
(イデア論:説明開始)
「善とか正義とかは、人それぞれ」と言うけれど……、どの国のどの世代の人間も、「善」と言われたときには「同じイメージ(印象)が頭に思い浮かぶ」じゃないか!
言語も、風習も、「善」と呼ばれる行動すらも、まったく違うのに、なぜ、みんな同じ「イメージ」が頭に思い浮かぶんだい?
それは……、この世界のどこかに「別次元(イデア界)」があって、そこに、「絶対的な善、真の善(善のイデア)」があって、ワレワレ人間は、その「別次元」にある「絶対的な善」にアクセスして、「善」というイメージを得ているのだよド―――――――ン!
だから、「善」という言葉を聞いたら、みんな同じイメージが頭に浮かぶのさ♪
(イデア論:説明終了)
このイデア論という考え方は、完璧に、ツジツマはあってる。
それに、イデア界も、イデアも、目に見えるものではないのだから、反論しようもない。
ましてや、偉大なプラトン……哲学の学校まで作ってしまうような大先生の哲学なのだから、おいそれと疑ってはいけないだろう。
アリストテレスは、プラトンの哲学学校で学び育った「プラトンの弟子」だった。
しかし、アリストテレスは、師匠のプラトンに盲目的に追従することはしなかった。
アリストテレスは、師匠のイデア論をあっさりと否定した。
「つーか、イデアなんて胡散臭いもの、存在しないんじゃないの?(笑)
だいたい、「善」とか「正義」とかなんて『人間が頭の中で作り出した概念』にすぎないでしょ」
いきなり全否定。あまりにも当たり前で、ミモフタモナイ反論だ。
もちろん、アリストテレスの反論は、とても妥当で理にかなっている。
たとえば、ある人が「4本足の顔の長い動物」をみて「あれは馬」だと認識しているとき、イデア論にしたがえば、その人は、別次元にある「馬のイデア」にアクセスして「馬」というイメージを得ていることになる。
しかしアリストテレスに言わせれば、人間の認識をわざわざ、そんなオカルトチックに語る必要なんかない。
たんに、人間が、同じ種類の「4本足の顔の長い動物」を何度も見ているうちに「馬」という「抽象化した概念(カテゴリ)」を頭の中に作り出しただけだろう、言うのだ。
たしかに、生まれてから一度も馬を見たことのない人に、突然、馬の実物を見せたって、
「なんじゃこの変な動物は?」と思うぐらいで、いきなり「馬」という共通のイメージが頭に思い浮かぶわけではない。
時間をかけて、何度も何度も馬を見続けていくうちに、やっと頭の中に「馬」というイメージができあがっていき「あ~、ああいうのが、馬なんだね」と言えるのである。
本当に「馬のイデア」があるならば、時間をかけずとも馬の実物をみた瞬間に「馬」というイメージが、すぐに思い浮かんだっていいはずだ。
アリストテレスの言っていることは、とても現実的で、まったくもってアタリマエの反論だ。
アリストテレスの言っていることは、とても現実的で、まったくもってアタリマエの反論だ。
だが、そんなアタリマエの反論を当たり前に言うことができたのは、アリストテレスが真に「哲学的な精神」を持っていたからと言える。
実際のところ、偉大な先生の学問に対して反論することは、それほど簡単なことではない。
後世の人間が勇気を出して反論しなかったばっかりに、明らかにおかしい理屈が、何千年も自明なこととして広まってしまった……という事例はたくさんある。
ところで、アリストテレスが偉かったのは、単に
「馬のイデアなんかないよー。そんなの人間が頭の中で馬というカテゴリを作り出しただけだよ」
とイデア論を批判しただけではなく
「だからさ、そんなあるかどうかもわからんイデアなんか論じてないで、もっと世の中にあるものをじっくりと観察してさ、『共通の特徴』『共通の性質』を見つけ出して、きちんとカテゴリ分けしていこうよ!」
と推進したところにある。
つまり、プラトンは、万人が共通して感じられる性質や印象に着目して「そう感じさせる不思議な何か(イデア)が、この世のどこかにあるのだ」と考えたのに対して、アリストテレスは
「そう感じさせる不思議な何か(イデア)なんて、あるかどうかわからないのだから、そんなことより、まずは、その共通して感じられる性質や印象というのを、たくさん集めてきちんと整理して、識として体系化してみようよ」
と考えたのである。
こうして、アリストテレスは、動物や植物を観察して、どんな特徴があるか、どんな性質を持っているかをこと細かく記録して、
「この種類の動物と、あの種類の動物は、こういう共通の性質を持っている。
じゃあ、そういう性質を持っている動物は『○○』と名前をつけて、分類しよう」
という感じに、知識の体系化をやりはじめたのだった。
それは、動植物だけではなく「夜空の星(天文学)」から「天気(気象学)」にいたるまで、あらゆるものを対象にして、アリストテレスは知識を集めては整理して、カテゴリ分けを行い、現在の学問の基礎を作り上げたのである。
つまり、
「物事を観察して、その記録を蓄積し、性質や特徴を見出しては整理していき、知識をきちんと体系化して構築していく」
という科学の基礎は、アリストテレスが作り出したのだ。
しかも、アリストテレスは、アレキサンダー大王(アレキサンドロス大王)の家庭教師であった。
アレキサンダー大王といえば、当時の世界を端から端まで征服してしまった怪物級のおそるべき支配者であり、その人物の先生だったのだから、当時のアリストテレスの名声はものすごいものであった。
その結果、「世界を征服した支配者の先生」という背景も手伝って、アリストテレスは学問の世界における「巨人」として祭り上げられ、彼が構築した学問体系は、後世の人々に1000年以上にわたって、無批判に支持されることとなったのである。
そんな偉大なアリストテレスに、ひとつ問題があったとすれば、それは「弟子を育てることができなかった」ことだろう。
いや、形だけの弟子は、無数にいたのかもしれない。
だが、自分の哲学を乗り越えるような、真の意味での弟子を作ることはできなかった。
そのおかげで、アリストテレスは祭り上げられ、その結果、
「女性は男性より劣った存在である」
「重いものの方が、軽いものより早く落ちる」
「宇宙は地球を中心に廻っている」
「脳は、血液を冷やすための器官である」
などの間違った発言までも、後世の人に絶対視され、
「偉大なアリストテレス先生が言うんだから、間違いないんでしょう」
と誰も疑問を持たないまま、1000年以上も信じられ続けてきたのである。
ともかく。
こうして、ギリシア哲学の黄金時代を築いた
ソクラテス→プラトン→アリストテレス
という哲学の師弟関係は、残念ながら、ここで途切れることになり、哲学の世界は混迷の時代をむかえるのだった。
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