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軍管区制のもとで、やがて地方の軍司令官が皇帝に対して反乱を起こすようになるのですが、9世紀には軍司令官たちの権力を削り弱体化させ、皇帝権力が強化される。この時期が、ビザンツ帝国の最盛期といわれている。
この時期には皇帝の妃を選ぶために、全国美人コンテストがおこなわれた。身分は一切関係なし。全国から美女がコンスタンティノープルに集められて、もっとも美しい娘に皇帝が黄金のリンゴを手渡すのです。リンゴをもらった娘が妃となる。この黄金のリンゴは、トロヤ戦争の発端になったギリシア神話に基づいています。以前に話しましたね。
何とも風雅なことをやっていますね。でも、神話的な香りがするこの美人コンテストが、帝国の中央集権化を維持する重要な儀式だったのです。
11世紀になると、大土地所有者である貴族の勢力が強まってきて、プロノイア制というものが始まる。これは、貴族に地方の徴税権を与えるものです。イスラムのイクター制と似たものです。
また、この時期にはセルジューク朝が小アジア地方に領土を拡大して、ビザンツ帝国を圧迫する。危機感を持ったビザンツ皇帝は、西方のローマ教会に救援を求めます。これに応じてヨーロッパ諸国の王や諸侯が、ビザンツ帝国経由でシリアに遠征します。これが第一回十字軍。このあと約200年間にわたって、前後7回の十字軍が西ヨーロッパからイスラム世界に遠征することになります。
ところで、領土が小さくなっても、首都コンスタンティノープルはアジアとヨーロッパ、黒海と地中海を結ぶ交通の中心地で、商業で大いに栄えている。地中海貿易で当時、一番勢力があったのがイタリアのヴェネチア商人です。コンスタンティノープルにも、駐在員を置いて大いに儲けていた。
ビザンツ帝国とヴェネチア商人は持ちつ持たれつの関係だったのですが、両者の関係が一時期こじれます。その結果、第四回十字軍はヴェネチア商人の誘導でビザンツ帝国を攻撃して、コンスタンティノープルを占領してしまった。滅茶苦茶ですね。コンスタンティノープルを乗っ取った十字軍の兵士たちは、ここにラテン帝国という国を建てる。ビザンツ帝国の貴族たちは、地方に亡命政権を立てます。これをニケーア帝国という。
その後、ニケーア帝国はラテン帝国からコンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国は復活するのですが、もう以前のような繁栄は戻らない。バルカン半島の領土も、新興のオスマン帝国にどんどん取られて、事実上コンスタンティノープルと、その周辺だけにしか領土がない都市国家になる。ただ、貿易の利益と千年以上の年月をかけて造り上げてきた何重もの城壁に守られて、もう少し生き延びます。
しかし1453年、ついにオスマン帝国によってコンスタンティノープルは陥落し、ローマ帝国から数えれば二千年以上続いたビザンツ帝国は滅びました。
ビザンツ帝国の経済と文化
ビザンツ帝国の経済は、ひとえにコンスタンティノープルの交易上の立地条件の良さに支えられていました。また、ローマ帝国時代から受け継がれてきた工業も盛んで、特に絹織物、宝石細工、武具など輸出用工芸品の製造業が発展していた。
ビザンツ金貨も、広い範囲で流通していたということです。
文化的にはギリシア・ローマ文化を継承し、それをイスラム世界や西ヨーロッパ世界に伝えたという点で世界史的な意義がある。また、ギリシア正教を東ヨーロッパに布教した。布教に際して、スラブ諸語を書き記すためにビザンツのお坊さんが考案したのがキリル文字です。今ロシアで使っている、ローマ字がひっくり返ったようなあれ。
ビザンツ建築。ドーム、モザイク画が特徴。代表的な建築物が聖ソフィア寺院。
東欧世界
ビザンツ帝国の北方は、どんな様子だったか。現在の東ヨーロッパにあたる地域です。ここには中央アジアと直結していますから、アジア系遊牧民族がいます。
マジャール人。9世紀頃、現在のハンガリーの地域に移住してきて先住のスラブ人と同化し、10世紀頃にはハンガリー王国を形成します。宗教はカトリック。ハンガリーのハンは、その前に来ていたフン族のことです。ハンガリー人というのは、今でも髪も瞳も黒く、目の細い人が多いですね。名前も姓が先に来ていて、われわれと同じです。
トルコ系のブルガール族が建てたのがブルガリア王国。ただ、ブルガール族は大多数のスラブ人に同化されていきます。ブルガリア王国は7世紀に建てられ、いったん滅んだあと12世紀に復活します。宗教はギリシア正教。
東欧地域の主人公がスラブ民族。広く分布しているので、代表的な国だけみておきましょう。ロシア方面では、9世紀にノヴォゴロド国とキエフ公国が成立。キエフ公国では、10世紀にウラディミル1世がギリシア正教を国教化しています。その後、13世紀にはモンゴルのキプチャク=ハン国ができて、ロシアのスラブ人の国はその支配下に入りました。15世紀末になって、モスクワ大公国がキプチャク=ハン国から独立して、現在のロシアのもとになった。
ポーランドも、10世紀に国家建設。14世紀にはリトアニア=ポーランド王国を形成して、東欧に大きな勢力を持つ。宗教はカトリックです。
東欧でも、一番西寄りにいたのがチェック人。かれらは9世紀にモラヴィア王国を形成しますが、マジャール人の攻撃で衰退。その後、ローマ=カトリックを受け入れてドイツに臣従します。ドイツにできた神聖ローマ帝国の中で、12世紀にはベーメン王国を建てた。これが現在のチェコのもとです。
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